tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

全摘しました!

左乳房全摘完了。授乳を終えてぺったんこだった胸、無くなっても分かんないんじゃね?と思っていたけど、触れてみるとやっぱりあったものがない違和感はある。麦茶だと思って飲んだら水だった、くらいの。ん、違うか?

流産の摘出手術、帝王切開と、2度の全身麻酔経験があったので、手術は全く怖くなかった。最近の麻酔は凄いからな!と過信していた。うん、痛かった。
全身麻酔から覚めたとき、強烈な筋肉痛というか、左肩を車に轢かれたような痛みと悪寒。痛い、寒い、痛い、寒い、とうわ言のように弱音を吐くワタシ。立ち会ってくれたのが夫と義母でよかった。実母だったら我がことのように苦しんだことだろう。陣痛で苦しむ私を見ていられなかった、と言っていたし。そもそも分娩室に親を入れてくれるなよ日赤。というのはまた別の話。

それでも20分ほどで痛み止めが効いてきて、さらに筋肉注射による痛み止めを追加してもらったところ、痛みがフッと引くのと同時に眠りに落ちた。明け方に目が覚めてまたちょっと痛む。でもナースコールを押すのは緊張する。このくらいなら我慢できるか?いや、朝までは我慢できん!
というわけでドキドキしながらナースコールを押して飲み薬をもらったら、朝まで眠れた。
教訓。いらぬ遠慮や我慢は無用!!

ロキソニンと仲良く付き合ううちに術後の身体にも慣れ、運良く食欲も全開で入院生活(ノー家事ノー育児)を満喫している次第。
後から入院して手術を明日に控えた奥さまに、「健康でいいねぇ」と褒められた。もはや癌ベースからのこの会話、入院病棟ってすげぇ。
ハゲに帽子だけ、眉毛も睫毛もないノーメークの悪人面でも平気でウロウロできちゃうし。

あとは早くドレーンを抜いてもらってリハビリを始めたい。春が来るから。娘、保育園に通わせて、職場復帰も近いから。生きる。

たまには育児の思い出など

先輩ヅラできる相手がいないからまだ語ってないけど、新米ママが近くにいたら色々世話を焼きたくなっちゃう。例えばお出かけスポット。

今日初めて出掛けた宮城県美術館の造形遊戯室は、もっと行けばよかった!と思った。新しくもオシャレでもないけれど、ふかふかの絨毯と無骨なブロック、たくさんの絵本。歩き始めた娘に過不足のない空間。娘、大はしゃぎ。ひとつ年上のお姉ちゃんが遊んでいて、「赤ちゃん♪」って可愛がってくれた。隣のモーツァルトの食事とセットでたっぷり楽しめる場所だった。

食事といえば驚いたのが、仙台駅近くの「サンバブラジル」シュラスコが食べたくて、子連れで恐る恐る出かけてみたが大正解!肉こそ食べられないものの、豆をかけて食べるごはんや、茹で野菜、キッシュなどなど、ブッフェスタイルのサイドメニューが1歳児にドンピシャ。更には全員ブラジル人の店員さんが、優しくてイケメン。かわいいね、と代わる代わる声をかけてくれて、ジュース出してくれて、汚したところを掃除しようとしたら「そのままでどうぞ。みんな同じですから大丈夫。」ですって!日本男児にこのサービスは無理だ!!そして肉が旨い!子ども椅子はないので、ベビーカーがあると良いでしょう。

あとは定番のIKEA。テーマパーク気分なのか、カラフルな色合いのためか、売り場でもレストランでもほぼグズらない。2人だけで食事するのに1番楽なのはここ。

もうすぐ保育園。ママと2人きりの外出も残りわずかとなりました。

幸せなことばかり続かない、だなんて

孫が生まれ、息子も結婚して海外赴任が決まり、良いことづくめで自慢してるみたいで人に言えない、と言っていた母。友人に孫をお披露目したとき「いいことばかり続くわけじゃないから」と悲観してみせて、「何言ってんの!今ある幸せを楽しみなさい!」とたしなめられていた。
そうだそうだ、と思いながら、私も彼女の娘だからどこかでそれを予言のように感じて心に引っかかっていたのだが。

その後、夫はアルツハイマーに、娘は癌になり、息子は早くも離婚の危機。ほら、やっぱりね、と言わなきゃいけないところだろうか。

それにしても母、それほど代償を払わなければならないほどの人生だろうか。大恋愛でもなく、ほんのご縁で結ばれた、それほど出来たわけでもない夫、国立大で比較的お金はかからなかったけれど特別に取り柄もない平凡3人の子供。田舎の小さな一軒家。長生きして欲しかった両親は、願いより20年早く他界。さらに自分より先に逝く娘を見送るほどの代償が必要なほどの人生か?
きっとノーだ。
まだ長生きしている90歳の両親にひ孫の顔を3〜4人見せて、元気な夫をシルバー人材センターに送り出す程度の人生だって望みすぎではなかったと思う。けれど、そうではないのだから。

本当はこんなことを、決して口にしてはいけない。思ってもいけない。「今」が不幸になってしまうから。けれど、1度だけ吐き出して、決着をつけてしまいたかった。
わたし、ちゃんと頑張るから、どうかもっと幸せな人生を送ってください。

手術前の抗がん剤は終了

FEC4回、アブラキサン4回で術前の抗がん剤を終了。来月手術することになった。抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなったので乳房温存も可能と言われたけれど、昔から乳がんになったら全摘と決めていたのでそれほど迷うことなく全摘をお願いした。「子どもが大きくなったら寂しがるかなと思って」と再建を選んだ赤ちゃんママもいると病院で聞いたけれど、目先の面倒を思うとこれ以上入院期間を延ばしたくない。それに、そもそもほとんどない胸を失ったところでバランス崩すこともないだろう。思春期から結婚するまでずっとこの貧相な胸に泣いてきたけれど、ここで手放すショックを最小限にできるなんて、プラマイゼロなのね、とつくづく思う。

プラマイゼロ。
幸せで幸せで、怖くなったことがあった。夫は優しいし、お腹の子どもは出生前診断もクリアしてもうすぐ会える。ご飯は美味しいし、毎日たのしい。些細な幸せのようだけれど、本来なら授かるはずのなかった命まで授けていただき、2人で穏やかに暮らすはずだった日常に身に余る余禄が与えられた。正負の法則で言うと、代償を支払わなければならないのではないかと不安になった。
まさに、その代償がこの病気だったんだろう。

きょうも、小さな全身を私に預けてスヤスヤと眠っています。すべすべの肌も、ふわふわの髪も、母の特権で触り放題。ずっとずっと撫でていると、手のひらから幸せが染み渡る。そんな天使だけれど、命と引き換えにするわけにはいかない。この子の母親を失わせるわけにはいかないから。

深刻な副作用はなかったけれど、それでも抗がん剤の治療を続けたこの半年と、片方の胸を失う手術、術後のリハビリと育児、もしかしたら術後の抗がん剤。そのくらいの試練を代償として納めて貰えませんでしょうか、神さま。

抗がん剤治療

FECという略称で呼ばれる抗がん剤治療を3回受けた。最初、あれ、言うほどキツくないぞ?と思ったら2回目は油断が裏目に出て、3回目は風邪をひいてダメージを受け、めっきり治療が怖くなってしまった。薬が変わって今度はどんな症状が出るのかしら、今度こそ眉毛も抜けるのかしら、味覚障害で食べられなくなるのかしら、個人差があるのだから考えても仕方がないのだけれど、怖くなってしまって食事が喉を通らない。せっかく食べられる時期なのに。ストレスが人体に与える影響の大きさに改めて驚かされる。考えるな、と夫に諭されるけれど、それすらストレス。怖いね、でも助けるから頑張ろうね、って共感して欲しいだけなのに、男性にそれを期待しても無理ってことよね。
ムスメ、保育園で今ごろまた泣いてるかな。眠れたかな。きょうはミルク飲めるかな。
あれもこれも乗り越えて、強い家族になるのだ。

あれ、気持ちが落ちた

実家に帰って孫の顔見せがてら報告してきた。親子とも元気な姿を見せて、癌は今どき死ぬ病気じゃないからね、と賑やかに過ごしてきたけれど、帰ってきて家に2人になると、旅疲れか気持ちが落ちた。新幹線までは妹も一緒だったので楽しそうにはしゃいでいた娘が、帰ってからはグズり続け、まるでママが死ぬことを思い出したみたい、なんて考えてしまう。「亡くなったってよ」「若いから、進行が早かったんだよね」なんて、人が眉をひそめる様が思い浮かんだり、生きる覚悟が急にゆらゆらしてきた。前傾姿勢はどうした?!
これからもこうやって振れながら生きていくことになるんだろうな。抗がん剤で具合悪いときなんて、気持ちが落ちるんだろうな。頑張れ私の豆腐のメンタル!

きょうが、治療前の私が健康で過ごせる最後の一日。どのように使いたいか?考えてみたけど、家族で笑いながら過ごしたい、ただそれだけだった。でもとりあえず娘の病院行かなきゃ(´ω`)鼻水止まれ〜。

生きる

骨、内臓への転移はなかった。結果を知らされて、初めて夫の前で泣いた。よかった。治療ができる。
リンパへ大きく転移しているので、ステージ3と全く楽観できない状況だけれど、治療できるのとできないのでは大きく違う。生存率とか余命とか、もういい。わたしは治療して生きる。

娘が胃腸炎になっておしり爛れて、わたし病院の前に小児科へ。その後さすがに緊張のあまり食事をする気になれず、なんとかセブンのお粥を流し込んで出発した。

内臓転移なかった。思わず先生の手を握ってしまった。ありがとうって。若い女の先生でよかった。素直に、一緒に頑張れる。何でもできる気がする。

化学療法の説明を受けた。とにかく人によって副作用が違うらしい。雪の斜面を攻略するように、前傾でルートを進もうと思う。手始めに、脱毛に備えて髪を切った。生まれて初めてのベリーショート。臨戦態勢にはうってつけのスタイルで、とても元気が出た。楽だけど、このスタイルを長く維持するのはお手入れが大変そうなので、いいチャンスだった。伸びずに、近々なくなるんだもの。「どうせならパンクバンドのボーカルみたいに切ったら?」と勧めてくれた夫、グッドジョブ。
適度にくせ毛で、太さも柔らかさもちょうど良くて、手入れが楽でカット映えするいい髪を親からもらったと思っていた。子どもの頃から、髪を褒められていた。まつ毛も長くてマスカラとアイライナーはなくても暮らせる。眉毛もしっかりしてて、すっぴんでも最低限の顔は維持できる。親にもらった一番のお便利パーツを失うのは悔しいけれど、命と引き換えに神さまが持っていくならそれでいい。ちなみにおっぱいはあるかないか分からない程度だったので、さっさと持っていってもらって構わないんだけど。使い終わったし。

髪を切って、たくさん笑って、そうしたらなんだか絶対大丈夫な気がしてきた。家族と、友達と、もっと笑おう。一緒にごはんを食べよう。