tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

骨シンチ&CT

悪い結果を想像すると苦しくてたまらなくなる。でも、前向きな未来を想定すると身体がすっと楽になる。メンタルが体に及ぼす影響って本当に大きい。新型うつ、などと言われて久しいけれど、やっぱりただのサボり病など存在しなくて、本人にとってはどうしようもなく辛いことだろう。

約1時間の骨シンチ。大きな機械に挟まれて身動き許されない間、心に浮かんだのは、
5歳くらいの子どものわたし。わたしの赤ちゃんを連れて、バイバイするんだって。アダルトチルドレンなんて自分にレッテル貼って、母親になってなお甘えていたわたしとは、もうさよならすることになった。おっぱい卒業して、パパと一緒に検査の終わるのを待ってくれている娘も、もう赤ちゃんではなく、子どもに成長する時期。

なにかのせいにしない。
自分も、人も責めない。
愛して、軽やかに。
信じて、自由に。

最後の授乳

造影剤から抗がん剤と、もう授乳ができなくなるので6日で断乳。ガチガチのおっぱいどうしたらいいの?!と悩んだ末に病院に相談したら、出産した病院の母乳外来に相談してくださいとのこと。なんだか母校にすら思える病院に久しぶりに電話したら、検査の内容や治療のことなど親身に聞いてスケジュールを立ててくれた。
ようは、ギリギリまで授乳して、それから3日後にマッサージでケアしましょうとのこと。3日間は張るけど搾乳はせずに圧抜きとクーリングで乗り切るよう。とはいえ夜間含め頻回だったので、急にやめて泣かれるのが怖いので徐々に回数を減らしてきた。病院に相談するまでは、不安だし張って痛いし、本当ならまだまだあげていたいし、悲しくてストレスで食事も喉を通らなくなった。でも、母校(笑)の看護師さんのアドバイスで気持ちが楽になって、その後は不思議とガチガチに張ることもなくなり、「もうすぐおっぱいとお別れよ」と話しながら一回一回の授乳を楽しめるようになった。

10時と、寝る前だけ、と決めて回数を減らしてみたら、夜に起きる回数がぐっと減って、とうとう昨夜は2時にミルクを120cc飲んだだけで朝まで寝てくれた!3時間おきに起きていたこの8ヶ月は何だったの、、、

明日、午前中に本当の最後の授乳。今日の夜は最後から2番目の授乳。なんと、おっぱいくわえながら眠る姿をもう一度だけ見たいな、という夢を叶えてくれて、珍しくミルクも飲まずに胸の上で眠ってくれた。やさしい子。
仰け反って泣いたり、咥えても咥えてもすぐに離して泣いたり、思うように出てこないおっぱいなのに頑張って付き合って、ミルクと混合ながら立派に大きくなってくれている。8ヶ月まで3時間おきに授乳ってどうなの??と悩んだりしたけど、3時間おきに会えて、吸ってもらえるのを少し嬉しく思ってもいた。予定より少し早い卒業だけど、たくさん抱っこして授乳してきたからもう大丈夫だね。これからは美味しいご飯を食べてもらえるように頑張るね。

苦しーい!トリプルネガテイブ

癌告知から1日。さっそく大学病院に来てみたけれど大変な待ち時間!朝8時半に受付して、呼ばれたのが午後4時前。
腫瘍もリンパの腫れも刻々と大きくなっているように感じられて、とにかく早く、1秒でも早くお医者さんに会いたかった。そもそも症状などなかったのに、食事も喉を通らない。一切の食欲がわかない。うえー、昨日は冷静だったはずなのに、現実と認識していないだけだったみたい。苦しい待ち時間!

ようやく会えたのは、若い女性のお医者さん。親身になってくれそう。わかりやすく説明してくれた。
昨日の病院ではちゃんと聞いてるつもりが認めなくない気持ちもあったのか、トリプルネガテイブの厄介なタイプと再認識。抗がん剤治療で、効くものが見つかることを祈るばかり。
来週の検査で転移の有無が調べられることに。来週までに転移しないの?!と不安になるけれど、淡々とスケジュールをこなすしかない。
転移がなければ半年間の抗がん剤治療を経て半年後に手術だそう。
つまり、あと半年は生きられるのか、と少しホッとした自分がいた。あかん、気弱すぎ!
転移があれば手術はせず、薬で癌を抑えながら共存していくことになるという。
先生は気の毒そうに、抗がん剤治療を始めると生理が止まるので第二子は無理、と言われたけれど、もともと凍結できた受精卵が1個なので第二子の予定はなし!なんて説明したりはしないものの「もともと考えてないので大丈夫です!治療頑張りたいです!!」と元気に返してみる。

娘が60歳、わたし100歳まで生きるつもりだったけど、まずはもう少し近い未来に希望を持って生きる必要が出てきた。

先のことを考えると苦しくなるので、今のことに心を尽くそう。まずは、来週の検査で薬を使うので、授乳をやめなければならない。さっそく今夜からはおっぱいなしで寝てもらうことに。
案の定寝ぐずって20分ほど格闘して、やむなくエルゴに頼ったところ30秒で寝てくれた。なんだよオイ。
そもそもネントレを検討しながらうじうじしていた私にはいい機会だったのかも。今夜は何回起きるかな。頑張るぞ!
授乳する幸せはもうすぐおしまいになるけれど、母乳外来に通ってまで頑張って、8ヶ月間楽しい時間だった。ようやく安定して出ることを実感できるようになったところだったけど仕方がない。これからは美味しい離乳食作りを頑張る!ミルクも高いのにしよう(笑)

神さまは、何度も何度も私の赤ちゃんを連れて行ってしまったけれど、とうとう最後に根負けしたのか、この子を授けてくれた。でも引き換えに私を連れて行こうというの?ねぇおチビさん、神さまに直訴してね。いい子にして、おっぱいも我慢するから、ママとずっと一緒にいさせてくださいって。ママも、お薬も手術も頑張るから、って。ねぇ、神さまのところに帰ってしまったお兄ちゃん、お姉ちゃん。ママ、まだそっちに行けないんだ。可愛い妹と、ママを見守っていてね。

浸潤性乳管癌

病名を告知された。
脇の下のリンパの腫れを思えば癌なのかも、転移してるヤバい、と思いつつ、でも口内炎でもリンパ腫れるし、乳腺炎でも腫れるんじゃないか、など希望を持とうとしてゆらゆらしていた。
結果は浸潤性乳管癌。ホルモン治療は効かないというからいわゆるトリプルネガテイブというやつか?いただいた書面には専門用語が多くよくわからない。しかし、ここでこれ以上食い下がっても仕方がない気もしたので、あとは大学病院で治療の開始だ!
わたしの病状でググってしまうと悪い情報しか出てこないので、なるべく「わたしはわたし」で治療に取り組みたいと思う。
脇の下のリンパが重苦しいのと、左肩が重苦しい。左鼠蹊部の重苦しさも、そろそろ生理が再開するためかと思ってたけど転移なのかしら。
正直不安だらけ。
入院するならこの子はどうする?どうやっておっぱいやめさせる?アルツハイマーの夫の心配でいっぱいの母に、娘の心配までさせる?
そもそも分不相応に子どもを望み、申し訳ないほど健康で可愛い赤ちゃんを授かってしまった代償?なんて思ってしまって。

いや、やれることをやるしかない。
一緒にいる時間がいかに貴重かということを思い知る機会をもらったのだから、この子にたくさん笑顔を見せられるように、家族に愛を伝えられるように。
頭で心配しすぎちゃダメだ。せっかく親からもらったこの免疫力の高い体で、楽しく生きるのだ。

またしても針生検

左の乳房、GW明け頃からだったろうか?
詰まりが取れないなぁと思っていた。
いや、なんか取れる詰まりとは違うなと薄々思って会社の産業医や産科の母乳外来に電話で相談したのだけれど、「吸わせても小さくならなかったら念のため近くの乳腺外科に行ってみたら?」とのこと。
吸わせたら小さくなったような、、、と自分を騙して受診せずにいたけれど、気づいたら脇の下リンパ腫れてるじゃん!ヤバい!!
と青くなり、翌日夫早退させてムスメ抱っこしてもらって乳腺外科を訪ねた次第。

2度目の針生検なので怖くはなかったけれど、今回は症状がもうこれは本当にマズい、、、
という気がして来週検査の結果が出るまで苦しいこと苦しいこと、どうやって乗り切ろうか。

この1週間で脇の下は更に腫れてなんだかシクシクするし、左だけ肩凝るし、そういえば妊娠中から左のお腹が痛かったっけ、、、
と、ネガティブな符合ばかり思い当たる。

以前乳がんが疑われた時は、「乳がんじゃなかったら子どもを作ろう」と決意して、不妊治療を始めたんだった。
思い叶って宝物を授かったところで再びの疑い。しかも前回より症状が顕著。

なんとか、この子と一緒に生きたい。
でも、もし生きられないのなら。

たくさん手紙を書いておこう。
それだけは決めた。
悲しくなったときの処方箋、お友達と喧嘩したときの処方箋、生理になったときの処方箋、恋をしたときの処方箋、夢破れたときの処方箋、
それからそれから、、、

考えてみたら、病気にならなくたっていつ別れが訪れるか分からないのだ。
事故に遭うかもしれない、災害に遭うかもしれない。
もしかしたら、上手に言葉で伝えられないかもしれない。

愛しい愛しいこの子のために、過保護かもしれないけれど、自己満足かもしれないけれど、
お母さんの言葉を伝える手立てを講じておきたいと思います。

どんなノートにしようかな、
買いに行かなきゃ。

働き方改革って、アホか

子育てしながら働きやすい環境を整えようと、社を挙げて実施するイベント時の託児から検討したところ、「会社が託児制度を作ると、子どもを預けてまで働きたくない人に不利になる」という理由で却下され、「無理をせず金勤務可能な時間を所属長に申告してください」とのお触れが回る事態に。働き方改革ってそっち⁈頑張りたい人を応援するのではなく、頑張りたくない人が頑張らなくて済むようにするんだね。「働き方改革」じゃなくて、「働かない改革」なんだね。ただでさえ人材不足でリクルートに苦労してるっていうのに。

親の気持ちを知る

子供を持てば親の苦労が分かる、感謝の念が湧くと言うけれど、全然湧かなかった。親の苦労は親の苦労、私の苦労は私の苦労だと思った。それも幸せな苦労だし、ぐらいの気分。それより、与えられなかったものを数えては恨んだりしてみた。しかし。

今さらながら「悼む人」を読んだ。人は一生のうちで「必ず」誰かに愛されている。忘れ去られて良い命などない。
わたしは、とふと思った時、腕の中に娘が眠っていた。無条件で宇宙一愛しい存在。将来を想像すると震えるほど。きっとわたしの母も、これほどに、どうしようもないほどにわたしを愛したに違いない。無意味に強く抱きしめたり、可愛すぎて泣けてきたり、大好きと百万回言っても足りないくらいに。世界中でいま、自分が一番幸せなんじゃないかと申し訳なくなるほど。
腕の中の娘を、わたしの名前で呼んでみた。母が40年前にそうしたように。やっぱり涙が出てきた。幸せで、幸せで。そうやって母の思いにシンクロしてみたら、何を与えられようとも、何を与えられなかったとしても、わたしは泣けるほど愛されていたことを確信できた。
わたしの場合、苦労に対する感謝などではなく、自分が心から愛されていた証拠を得られるのが、自分が親になることの副産物だった。母の動きが無駄に速くて雑なのは子どもがお腹を空かせないように、と急いだことの後遺症だし、なぜかトイレの扉を開けて用を足すのは、子どもが泣いているのが聞こえるように、またはトイレから声をかけるため、の後遺症。と、いま自分がそうしてから気づいた。
感謝、というよりは、そうやってわたし達を愛してくれた、完璧ではない1人の女性に対する愛しさに気づくことができた。物語に出てきた母親のように、死ぬ間際のことじゃなくてよかった。これから、わたしを愛してくれた愛しい存在を、できる限り大事にしようと、ようやく思えた。