tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

再発転移なき人生を祈って

3年前の今頃は自力出産を諦めて麻酔待ちをしていた頃かな。なんか色んな気持ちが削ぎ落とされて、ただ夫の手を握って、「よかったね」と話していた気がする。大変だったけどここまで頑張ったし、親もみんな来てくれて、みんなに会えてよかったね、って何故かそんな話をしていた。子供が無事に産まれるか、健康であるか、そんな心配は拭えた訳ではないけど、ひどく穏やかな気持ちになっていた。あとは、もはや陣痛が来ても助産師さんも先生も来てくれないので、最高潮の痛みの波をやり過ごしながら帝王切開の準備が出来るのを待っていた。お正月に緊急招集をかけられた先生方には誠に申し訳なく思う。

順調なら今日3歳になっていたはずの娘は、明日3歳。

 

娘が3歳になるまで生きていられるのか?それすら分からなかった。乳がんの告知を受けてすぐ先生に聞いたのは、「しにますか?」だった。遠隔転移があるかどうか、まずは検査しなければわからないとのこと。いつまで、生きられるんだろう、と思った。今思えば、というよりやっぱり今も、癌のことはよく分かっていないのかもしれない。

検査が進み、「6ヶ月抗がん剤治療をして、それから手術」と言われた時は、「あと半年は死なないのか」とホッとしたりしていた。娘が1歳になるまでは生きられるんだな、と。

そうして、明日3歳。もうすぐ私も2年生。

3年以内の再発率が高いと言われるトリプルネガティブ。短距離勝負のつもりで、何とか二度と捕まらないようにと思っている。何が原因なのか、肋骨がシクシク痛んでみたり、左の肺が熱く痛んでみたり、背中が痛くなったり、目眩は相変わらず。12月の血液検査とエコーでは問題ナシと言われたけれど、3月のPETは怖くて怖くてたまらない。これほどの身体の違和感がありながら無事に進級できたら、今度こそ転移の恐怖から自分を解放してやりたいと思う。「どうせ私は逃げきれない」と悲観して蹲る自分が払拭できず、せっかく頂いた命を投げやりに生きている。こんなに幸せなのに、本当に勿体ない事だと、分かっているのに。来年はスキーをしようね、長崎に行こうね、韓国にも行きたいね、未来の話をする時に、必ず悲しい気持ちになる。

妊娠中、「どうせ、またダメだ」と、ベビー用品の準備すら出来なかったこと、胎教など出来なかったこと、信じてあげられなかったことをとても後悔している。幸せでいてあげればよかった。娘の為にも、自分のためにも。

こんな自分を卒業して、ちゃんと進級したい。

娘も、春から幼稚園へ進むのだ。