tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

母親からの解放を目指して

もう色々調べて裏を取る必要すらないんだけど、人の悪口ばかり言う母に育てられた我々兄弟は、それぞれその呪縛による現在を過ごしているような気がする。

一番は父親の悪口。今思えば父の小遣いの額まで娘に愚痴るとか、わたしそれできないわー。気が利かない、思いやりがないから会社でも迷惑かけてるに違いない、と常々断言していたので、父は恥ずかしい人間なのだと思い込まされていた。素直にごめんとか、うんそうだねとか言えない人で、母に何か指摘されるとイラっとしているのが分かった。だから母は「素直じゃない、可愛くない」といつも言う。私も、自分に対する苦言を素直に聞ける人間じゃないし、妹のように気は利かないし、父によく似ていると思う。つまり、父に似た自分は冷たい人間なんだと、駄目な人間なんだとずっと思い込んできた。

 

弟は男であったから、そうやって家族の誰からも尊敬を得ない父を見て、拠り所を失ったのではないかと思う。若い頃から仕事を続けることができず、心を治療する日々が長かった。どうにか今は続けられる仕事に出会ったものの、他人と暮らすことができずに新しい家族を手放した。母は、父だけでなくとにかく人の悪口を言う人だから、弟の異常なまでの完璧主義と他人への厳しさはそのあたりに起因するのではないかと思っている。私が夫の愚痴でも漏らそうものなら、輪をかけてうちの夫の悪いところを並べ立て、気にしていなかったことすら突きつけられるので、なるべく母には夫のことを話さないことにしている。(それでも油断した時、「彼はちょっと障害あるよね」とまで言われた。)

 

妹が偶然、父と仕事をしたことのある人に出会ったとき、「とてもお世話になりました。いつも穏やかで、信頼できる方でした」と仕事ぶりから人柄まで絶賛されたそうだ。家族を悪く言う人もなかろうと話半分に受け取りはしたが、正反対の嘘を言う必要もあろうか。気の短いところはあれ、仕事の愚痴を決して言わず(というか本気で、仕事を辛いと思ったことがなかったらしい)物静かな技術者であった父が、人に呼ばれてベンチャーに関わる仕事をして経営にまで携わったのだから無能でコミュ障であったはずがないのだ。

 

父は、長丁場となった分娩室で私に「頑張れ、もう少しだから」と声をかけてくれた。ようやく生んで手術室から戻った時は、「ありがとうな」と言ってくれた。父親に守られている、喜んでもらっている、それは私の温かい自信になった。

 

母は、そんな父を尊敬する機会を奪い続けたことになりはしないか。

 

そんな夫婦関係に幻滅したせいではないのだが、妹は婚約者との将来を捨てて、ひとりの人生を選んだ。自分の決めた生き方に納得はしながらも、孫の顔を見せられない負い目を背負って、おそらく唯一の孫を産んだ私にも負い目を感じているに違いない。自分の人生を選んでいるのに、それが幸せだと信じることを自分に許すことができないでいる。おそらくそれも母の呪縛。本人は気づいていないけれど。つまらない母のLINEにこまめにレスポンスを返すのが痛々しく見えることもある。

 

自身の友人の悪口も、子どもの頃から車の助手席でいつも聞かされていた。仲良くしているように見える人でも「嫌な人だけどいい時だけ上手く付き合っている」というのが基本スタンス。世の中、悪い人ばかりなんだと思い込まされた。だって母の周りには悪い人ばかりなんだもの。「あの人は子供が嫌いだからお利口にしていてね」なんて言われて会わされた大人を、子供が恐れないでいられようか。私は今でもやっぱり人が怖い。

 

いま客観的に見れば、父方の祖母は明るく裏のない人だ。特段気が回るタイプでもないので、息子の子ども、つまり私たちよりも、娘の子どもたちの方が接する機会が多く(何より息子は連れ子で娘は実子)話題にも上りがちなのは仕方がない。それを、「向こうの孫ばかり可愛がる」と僻んでは「娘は楽をしてるのに嫁は気を遣わされて大変」などと、私に愚痴る。そんなのは自分の友達と、姑の悪口大会でも開いておけばよかったのだ。おかげで私たちは、「おばあちゃんは私たちを可愛く思っていない」「お母さんを苦しめる人」と叔母とセットでインプットされた。叔母だって明るくて面白い人だ。

 

高校生の頃の妹のボーイフレンドも執拗に貶し(よく妹はキレなかったと思う)、私が男子に告白された時も「高校生が男女交際なんて必要ない」と私の思考を止めた。十代で良い恋愛をすることが将来幸せな結婚生活に繋がる、という研究結果を知って愕然とし後から母に抗議したが「人のせいにするな」と逆ギレされた(まぁそれはそうだけど)。

 

とにかく人を愛すること、信じることができないのは、母にいわせれば、あるいは冷静に考えれば、人のせいになどするべきではなく自分の弱さなのだろうけれど、原因の一つとして「母」を否定しない。また、原因を自分の外に置くことで何か解決できるならもうそれでいい。

 

私は娘には人の悪口は聞かせまいと思う。もしかしたらそれだけで、娘は私と違う人生を歩めるかもしれない。悪口を言わない子になるのではなく、人を悪く思わない子になって欲しい。

 

母の呪縛から逃れて、自分の人生を生きるためになんとかこの苦しさを言葉にして、外に出したいと、切り離したいと思って書いてみた。私と、私の家族が真新しい、幸せな人生を送ることができますように。