tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

うっかり性別判明

悪い夢は人に話してしまうのが正解。
起きてすぐ夫に「検査の結果が最悪だった夢を見たよ」と話したおかげか、結果は正常核だった。
ここで正常核だからと言って手放しで喜ぶべきではないこと、検査を受けた時点でいろいろいろいろ考えたことなのでここには記さない。

検査結果を聞きに行く朝、うっかり打ち合わせを入れてしまった夫は罪悪感からか、単に私が不安定に見えたのか、通勤遠回りして近くの駅まで一緒に来てくれた。
そういうところが愛しいのだ。夜中、トイレから戻った私を寝ぼけて歓迎してくれたり、寝言がエリーゼのためにだったり、赤ちゃんがダメでもこの人がいればいい、と思える。

で、病院では若い女性の先生が特に感慨もなく結果を伝えてくれたのだけれど、「結果の写しを渡すように」と言われたらしく、「いいのかなぁ?」と言いながらペラっと紙をくれた。
私「、、、、ハッ!」
先生「そうなんですよ、性別分かっちゃうんですよね」
私「教えないと言われてたんですけど、、」
先生「まぁ、日本では性別により堕胎する人とかあんまりいないんで」

たった今エコーで「まだ見えませんね〜」と言われた矢先の確定診断。をい。

46XXて書いてる。

ずっとタロウちゃん呼ばわりしてきた赤ちゃんが、ハナコだった。
生まれて来れなかったあの子が男の子だったこともあってか、何度もあの子がお腹とお空を行き来してくれているんだお思っていた。
当たり前のことなんだけど、そうではないんだな。また、新しい命であり、彼らの妹なのだ。

スケジュール的に1人しか産めないから、跡取り息子をお義母さんに抱かせてあげたかった気もしていた。パパも息子と遊びたかったんじゃないかなとか。

だから残念、なんていうことではないのだ。女の子だと丈夫だし、私もいろいろ遊べるし。
どんな子に育って欲しいか?
人と比べて自分を卑下したりしない、朗らかで健康な、幸せな子になって欲しい。

それって、うちの親も私に同じ願いを持っているんじゃないのか?今でも。
今からだって、親の願いに応えることができるんじゃないのか?

親の気持ち。はたと、少しずつ気づかされる。
孫だって、いたら嬉しいけどそれより娘が健康で幸福であればそれでいい、という言葉。
何度も流産する私への慰めかと思っていたけれど、本心に他ならないのだろう。

お腹が少し大きくなった今でも、孫が健康に生まれればいい、という祈りより、まずは娘が無事に過ごせたらいい、とそれだけを思っているフシを感じる。

今からでも遅くない、と思う。親の祈りを幸福の形に実現することを、私の夢のひとつに加えよう。