tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

来週移植するよ

来週水曜日に最後から二番目の移植。
4回失敗して、あと2回失敗したら終わりにします。
エストラーナテープを貼るのも慣れたし、ルトラールの副作用も感じない。慣れすぎて飲み忘れ貼り忘れがあるのが怖いけど、基本的に私の体は大丈夫。あとはひとえに受精卵の持つ運だけが頼り。
モルディブ行こう、一度は韓国行こう、ラスベガスもいいね、そんな話をするときには、すでに移植の失敗が織り込まれているのだけれど自虐ではない。それでもいいし、子どもがいたらいたで楽しいし、という気持ちになっているだけ。
人生はどっちに転んでも生きているだけで面白いものだ、と思えるようになりたい。ときにはそんな余裕もなくすけど、また思い出せばいい。
子どもがいたら、、、
楽譜は小さいうちに読めるようにしてあげたいな。あんまり子ども扱いしないで、自分で考えられる子になってほしい。世界はそれほど怖いものじゃないと、大らかに前へ進めるような。

イル・ディーヴォ

世界が恋するイルディーヴォを聴いてきた。

確かに歌声というのは、恋に落ちると似た感覚を与えてくれることがある。
思えばこれまで歌で恋に落ちたのは、コブクロ鈴木雅之美川憲一
それと、イルデーヴ。泣けるほどに胸を打った。
日本語の美しさに切なさが滲んで、考える前に涙が落ちるようで。きゅっとなった。

イルディーヴォ
セクシーで口が悪くない綾小路きみまろ、というところか。
日本に来れば儲かるんだろうな、とかいろいろ考えてしまう余裕が生まれてしまうのは言葉の意味がわからないせいかな。うん、それだけと思いたい。

何はともあれ、宮城のレディースみな楽しそうだった。愛の時間をありがとう。

こども、欲しいのか欲しくないのか

さて、きょうも病院にやってきました。
今週期での移植を目指します。

しかし、なんだかこれで良いのかわからなくなってきた。
親の嫌なところがしっかり受け継がれた私と、よくできた妻に甘えて暮らした義父の生き様を見事に受け継いだ夫と、そこにこどもが生まれたらどんなモンスターになることか。
そして、武器の使用も辞さず、という方針で自衛隊がなし崩し的に戦争に参加してゆく。紛争地域で自衛のため、といってもつまり「人を殺してよい」ということ。
原子力発電のリスクを思い知りまだ事故を収束させる術すらわからないのに、結局さらなる原子力発電所を使用するばかりか海外に輸出するという恥知らずな経済のもとに成り立つ現在のわたしのくらし。
未来って、こんなに不安で悲しいものだっけ。子供の将来を心配しながら死ぬくらいなら、わたしの命が尽きたところで全て終わりにしたくなる。
性欲の結果として子供が生まれるのならこんなことは考えずに済むのだろうか。偶然授かる命なら、手放しで喜ぶことができるのだろうか。
もう、そんな機会は私にはないから、こうして苦しんで、自分を責めて、夫を傷つけて。
子供がいても悲しい、いなくても悲しい。どうやって生きていけばよいのか。

春から頑張ります

四月から頑張ることにしたから、三月の自分に甘すぎだったかもしれない。
早起き、お弁当をつくる、そうじ、料理、
先延ばし体質だから全てが実行できない。四月からやるから。
でもそれが明後日に迫ってきたよおいおい。

甘やかした分のツケを払うのは自分なわけだが、甘やかした内容とは別のところで首が締まって苦しい。仕事がはかどらないとか、夫との関係、先輩との関係がうまくいかないとか。
たぶん、生きる根本のところでズルをしたから、人生が歪んだんだろう。その根本のところをちゃんとしたら、別のボーナスがもらえるのだ。自分で生きるとはそういうことなのだ。
て、分かっちゃいるけど、時々失敗して思い出す。うん、失敗したらいいんだ。またちゃんと生きるためにさ。

卵巣が腫れています

流産の影響というより体質的なものじゃないかと思うんだけど、卵巣が腫れているとかで次の移植が延びた。左下腹部が痛いのはそのせいだったか。疲れたりストレス溜まったりすると左下腹部が痛くなるのは以前からのことで、ある程度年を取ると不調は婦人科に来るな、と経験的に感じていた。
3月に移植して、また流産するとしたらゴールデンウイークかな、と思っていたが少なくとも1ヶ月延びる。

子どもが欲しい!と強く念じた時期は過ぎ、もしも子どもがいた場合の不安がよぎる。通販サイトで「子どもの学校に行くとき便利!」という携帯スリッパ見ては、「面倒。てゆーか親がババァで子どもは迷惑かも」とか。別のマイナス思考が首をもたげている。
放射線の不安も、地球環境の変動も、子どもがいなければ悩まされることはないのかなと思ったり。

結局今の状況に不満を持ち、将来に不安を持つというこの性格を変えない限り、どんな将来も楽しめないのだろう。
私はいつでも、本当は幸せなのに。

親がマンションを購入するて

一軒家の大量の荷物に囲まれて、雪かきしながら暮らすのはもう嫌だ、と訴え親がマンションを購入しようとしています。病院とスーパーが近い物件を見つけたようなのでそれはそれで良いと思うが、70になってマンションを買うなんて彼らの世代はやはり老後が約束されているのだなぁ。労使交渉の場で「退職金が嵩んだためボーナスは出せません」と言われ、現状の給与どころか将来すら不安な我々世代とは大違い。
マンション、確かに高齢者には安心な住まいではあるけれど、夜景を見下ろす毎日と、日々移ろいゆく庭の風景と、どちらが良いんだろう、と考えてしまう。きっとそれは自分が高齢者ではないからなんだろうな。
マンション買うほどのお金をかけるなら、家にある不用品を処分してリフォーム、なんだったら平屋に立て直して住んだらどうだろう、なんて。そんな気力はもうないか。
義母も同じことを言う。街中の小さなアパートに住みたいと。会うたびに言われるのが辛い。そのお金、うちが出すの?どこに住むか、私が決めるの?
大きくはないけど不自由のない家で育ててもらった。その恩を、住宅や家財の処分や引っ越しという形で自分で始末しなければならないと、考えてなかった。確かに今の住宅事情では、人はみな自分が育った家を処分するまでを責任とる必要があるのだろう。
夢のマイホームをお考えのみなさま、将来この子に残すのは財産じゃなくて老朽化した木造住宅と何十年分の荷物ですよ。ニュータウンができては高齢化し、高齢者がこぞって街中のマンションへ移り住む、日本ってそういうことでいいのかな。
と、私にそれを言う資格はないのです。せめて自分の親にだけでも、孝行する義務がある。

ひとりビール

基本的にひとりでごはんを食べるのが好き。もちろん女同士でランチの店を開拓するのも楽しいし、飲み会も好き。
けれどひとりだと、スープに溶け込んだ旨味とか、海鮮の歯ごたえとか、お肉の脂とか、いろんな味わいにガチで組める。
きょうは近所の韓国料理店で海鮮うどん。と、中ジョッキ。
家に帰って残り物片付けて炭酸水、ではなく外ビールが許されるほどには経済的にも困窮していないのだな、と感謝の気持ちすら感じる。
でもね、ひとりで入れる店をまだあまり知らないのだ。10時30分なんて時間にまだウェルカムで、おしゃべりしなくてもよい、楽な場所。今のところ牛タン屋さんくらい。

日本人女性は大概片言の外国人に好感を持つのではなかろうか。韓国人の店員のおじさんが流暢ながらもあちらのイントネーションでサービスしてくれるだけで和む。「エプロンつかいますか?はねるかもしれない」と、エプロン広げてくれた。日本人のイケメンに優しくしてもらうより嬉しい。
韓国のひとは、基本的に控えめで優しい。控えめだけど気持ちがお節介だから可愛い。声高に感情を表す様子だけを殊更に取り上げるからおかしくなるのだ。日本人だって、怒れる姿だけを世界に晒したらどうなる。