tichiki’s blog

共働き夫婦世帯の楽しみと葛藤。仙台にて

最後の移植

これで本当に最後にしようと思っている。初めてAAの卵に出逢えて、いま、お腹に帰ってきてもらった。
ほとんどの人が自然妊娠で神さまの計らい通りに子どもを持つ中、私はこんな選択をしてしまった、と自分を責めたりもしてみたが、認めるしかないのだ。結局子どもを授かったとしても、授からなかったとしても、それは自分を責めるべきものではないのだ。

最近、人の子どもが可愛いと思うようになった。ばかりか、もしも早くに授かっていたら自分の子どもくらいの年齢の子がコンビニや宅配で働いていたりすると、愛おしくて仕方がない。歳をとると、人間に対する愛情が大きくなっていくのだろうか。

最も愛しいのは夫。本当はこれから子供など持ったら大変な年齢、不安も大きいだろう。本当は、私と自由に旅行したり、お酒を飲んだりしたいのだろう。「赤ちゃん、きて欲しくないんでしょ本当は」と意地悪な質問をすると、「赤ちゃん、俺より可愛い?」と拗ねてみせたりして、本当の答えをはぐらかす。はぐらかしたのではなく、どっちを選んでも私を傷つけると思って、和ませてくれてるだけなのだろう。
こんなに優しい父親を持ったら、どんなに幸せな子どもが育つのだろう、それこそが、私がどうしても子どもが欲しかった最大の理由。親孝行、人間的成長、様々の「自分のための理由」を超えて、あなたの子どもが欲しかった。思えば結婚の理由もそうだった。この人の子どもを、この世に誕生させてあげたい。いつからか、ずっとそう思っていた。
だったらもっと早く結婚すればよかったのに。うん、それはそうなんだ^_^;