tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

6日目胚盤胞

これまで真面目に話を聞いていなかったのか、
来週移植する卵は6日目に胚盤胞になった子だそうで、つまり前のクリニックでは「可能性が低いので移植しないで新たに採卵しましょう」と言われた状態の子かも、、、と絶望的になってみる。
というか、クリニック変われば移植するレベルだったら、前の子もちゃんと迎えに行ってあげるべきだったのか?なんてぐるぐる思い悩む。

そもそも前のクリニックで治療を続けても結果が出る気がしなかった。看護師さんは皆良い人だったけど先生がちょっと明るさに欠ける感じで話しづらく、知り合いが何人も他の病院で結果を出しているのを聞くと、そっちに移りたくなった。
結局どちらでも結果は出ていないわけで、病院に対する不満解消のために移ったに過ぎない。後のほうの病院はとにかく血液検査が多くてお金がかかる。採卵方法も質より量、という感じで私には合わなかったかも。前のクリニックなら私のカルテに添って治療継続してくれたのでは、、、
など、選ばなかったほうの道を振り返ってくよくよしてしまう。

仕方ないじゃない。

今度はちゃんと時間を守って薬を飲もう。夫とたくさん笑ってとぴちゃんを迎えよう。

胚盤胞になるのが遅いのは女の子、と言うし、今度妊娠したら出産予定日は念願の早生まれ。
ばあちゃんと同じ誕生日かもしれないよ。

自分を、ダメな人間だと信じる悪夢

今まで信じていたことを手放してみるといいそうです。
私が人並みの合格点を取るには120点を目指さなきゃならないとか、
私は優しくない人間だから思った通りに生きたりしたら人を傷つけるとか、
人形みたいに何もできないお嬢様だから常に頑張って気を張って行動しなきゃいけないとか、
それは思い込みというより親や友達に言われて思い知らされたことではあるのだけれど、
言われた記憶すら悪夢や誤解かもしれない。

誰か政治家あたりが、子供を産まない女性は機械以下だなんて言ったことが本当にあろうか?
子供を産まない私が親不孝だなんて、本当に、うちの親が思っているだろうか?

まさに、自分を卑下するために私が信じている悪夢に過ぎない。

たまたま見た心屋仁之助のブログ記事。
意識高い系の、ビジネスマン向けの追い込み記事を読んで、新しい職場でなんとか頑張らなきゃ、と自分を鼓舞する合間に。

自分を貶める人生は、もう終わりでいいんじゃないかなぁ。
できれば、今日で終わりにしたい。
早く終わりにすれば、本当の寿命が尽きるまで一日でも長く楽で幸せで楽しい人生を送れるでしょう?

ダメ人間を思い知らされながら、この1ヶ月を一生懸命働いた。忙しい、時間がない、を繰り返す同僚の雑用を引き受けて、彼が少しでも楽になるように、他の人が少しでも仕事しやすくなるように、頑張った。
私にはこんな仕事しかできないから、できることだけ、一生懸命。
そうしたら、嘱託のおじさんから酒の席で、「あなたが来てから仕事のスピードが変わった。自分も仕事しやすくなった。これが仕事だよな、と思う。まるで男性のように判断が早くて驚いている」と言われた。
誰でもできることをひとつひとつこなしているだけで、あまりに簡単なことばかりで卑屈になっていただけに、それを褒めてくれる人がいるなんて。

人がときどきこうして私を認めてくれていることを、そっちの方を夢か幻と考えて生きてきたのではないか?
ご飯も作らない、掃除もしない、そんな私に「頑張らなくていいよ」と言ってくれる夫の言葉すら信じてなかった。
あなたを産んでよかった、という母の言葉すら信じてなかった。

あなたでよかった。あなたがいなくなって、こんなに仕事してたのか、って知った。あなたが担当していた時がいちばん楽しかった。
たくさんの言葉をもらったのに、全てお世辞か慰めだと「信じて」いたのだ。

その言葉の贈り物こそを信じればいいだけなのに。
褒められた自分なんて、本物じゃない、その根拠はどこにあったのだろう。

もう大丈夫だよ、って。全部本当だから、自分を信じていいよ、って。
人生のあと半分をそうやって揺るがずに生きたい。なんとか、生きたい。
自分も人も許せない妖怪見張りババアは退治するのだ。

子ども、いらないっちゃあいらない

この歳で子ども授かったら、正直大変なことばかり。
若い母親の中で肩身狭く付き合わなきゃいけないし、父親は運動会出られないし、学校なんかもう2度と足を踏み入れたくないし、
夫婦で美味しいもの食べたいし旅行にも行きたい。
今のままならお金を自分のためだけに使える。
さらに、障害のある子どもを授かったら想像を超える苦労も授かることになろう。

だから、頭で考える時点では、子どもはいらない。

しかし、親に孫を見せたいのだ。夫の、父親の顔を見たいのだ。
死ぬまでに、母親としての苦労をしてみたいのだ。
感情であって、計画でも理性でもない。

何度か、私のそばまで来たあの子に、会いたいのだ。

陰性でした

心穏やかに判定を待てるようになった、と思っていたけど、出血する夢を見たりと、やはり心穏やかではいられなかったようです。
「今回はダメでした」という医者の言葉を何度もシミュレーションして、耐えられるようにしておいたが、やはり冷たい汗をかいた。

ゴールデンウィーク、昨年はお腹の中にとぴちゃんを抱いて過ごした。
連休明けに還っていったのは、山の斜面で転んだのがいけなかったのかな、なんて後悔したり。それでも家族で過ごすゴールデンウィークだった。

今年は、泣くこともしないで、極力平気でいようとして、実家に帰ったりドライブしたり買い物したりと忙しく過ごしてみた。
そうやって泣かないで押し込めたのが積もったようで、日が重なるにつれて苦しくなる。街を行く人が全て親子連れに見えて、親子三代のファミリーが幸せの絶頂に見えて。
宝くじに当たるとか、大金持ちと結婚するとか、そんな幸運はだれにも訪れるわけじゃないけど、子どもが生まれて家族が繋がるというのは世界中のほとんどの人のところに訪れる幸福ではないのだろうか。
それが、私のところには訪れないのはどうしてなのか。私だけならそれでも良いけれど、苦労して子ども3人も育てたうちの父と母のところに孫が1人も来ないのは、何の因果か。

やっぱり涙が出た。陰性の判定から1週間我慢して、やっぱり泣いた。

判定までの1日1日

最初の頃は、判定までの一週間をどうやって乗り切ろうか必死だった気がする。
今は、ヘタしたらお酒飲んでしまいそうになるほど。走るし、伸びるし。
だから薬も忘れて変な時間にルトラール。ごめんなさい。
ただ、腹痛が気になる。特に、ストレス感じた時など卵巣あたりがきゅーっと痛む。
これもおそらく薬のせいなのでしょう。ルトラール飲んでると、とにかく生理前の症状が続く。胸も大きくなるから、できればずっと飲んでいたい(^^;;
判定まで、検索魔になるのはやめた。いや、ときどきは何か調べてしまうけれども。
去年はゴールデンウイークだけを一緒に過ごしたとぴちゃん。また会えるのかな?どうかな。

ぼっちご飯

昼ごはんをひとりで食べるのが好きだ。
毎日のことなので、何食べる?とか相談するのが面倒。
社員食堂では、休憩時間にまで社員との会話を紡ぎ出さねばならないなんてストレス。

今日は昼から歯医者なので早め外メシにしよう、と思っていたのにすっかり忘れて弁当を作ってしまった。がーん。
しょうがないので歯医者の近くの公園で食べるか、、、と思ってきてみたら、木陰のベンチがちょうど空いていて、目の前には今が盛りの八重桜!
計画通りじゃないことで思いがけない時間を過ごすこともある。

連れて帰ってきたよ

溶解してアシストハッチングをして3時間経ってもまだ孵化してなくて、去年着床すらしなかった卵の状態によく似ていた。
こりゃ、難しいかな、とふんわり思ったけど今さら仕方がない。
更に移植する時間になったら少しだけ頭を殻から覗かせていた。
今までの子たちもそうだけど、こうして細胞の時点ですでに可愛いのが笑ってしまう。生きてる、すげぇ。
もしも生まれてきたら、「オマエ、こんなに小さかったのにねぇ」って見せてやりたいくらい。あぁ、孵化直後の写真はないんだった(´Д` )
まさに人がこの世に這い出てきた瞬間が見られるなんて、すごい時代になったものだ。おかげでたくさん泣いたり迷ったり苦しんだりしなきゃいけないわけでもあるのだけれど。

「とぴちゃんに、おかえり、って言って」と夫にお願いしたら、本当に中学校あたりから帰ってきた子に言うように「おかえり」って言うからなんだかびっくりしたよ。
帰ってきたお祝いにお寿司を食べてあげた。コハダが最高においしくて、ウニはまあまあ。秋田名物だというネギ鯖巻きは安定の旨さ。そして鯖と鰆とホッキの焼き物は幸せの味わい。
ほぅー、君のこの世での1日目は良い日だったよ。パパに感謝しろ。