tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

これも修行

会社のことなら何でも知ってる頼りになる総務のオバちゃんになろう、
と頭では思っても、後輩に「電球切れそうなんで替えてください」と言われてイラッとしないほど人間出来てはいない。
昔の総務部は怖いおじさんとベテランのオバさんだけだったから、電球ひとつお願いするのも緊張したものだ。

廊下に溢れて放置されたジュースをひとりで拭き取りながら、哀しくならないように気持ちをコントロールしなきゃならない。
ジュースならまだしも、誰かが放置した吐瀉物の処理をして、「消毒中」の張り紙を作って、、、うちの会社って、こんなに人に面倒かける人ばっかりだったかな?

でも、誰かがやらなきゃいけないから。現場でどれだけキャリアを積もうと、やっぱり誰かこのポジションには必要だから。

今は修行。もしもチャンスが巡ってきたら、この修行を生かして跳べるように。
と、頭で自分を納得させる。

こうして弱ってるタイミングで、赤ちゃんが産まれました!の、写真が送られてくる。
修行だらけ。生きているから、
生きているからね。

世界を支配するのはわたし

飲み会で、嫌な思いをした。
なんていうのは、話題のミスリードに過ぎない。つまりじぶんのせい。
仕事の不満いっぱい、という同僚には過去の輝かしいときのことを語ってもらえば良いし、普段話しづらい上司には恋の話を聞けばよい。
つまり主導権はわたしに。
自分が過ごしたい時間のために空間をリードすればよいのだ、と思う。もちろん成功するときと、そうでないときがあるだろうけれど。
でもきっと、人生だってそうだ。決めるのは、わたし。

飲み会。一次会を終わって外に出たら誰もいなかった。あれ、トイレ行ってる間に。
仕方ないのでドーナツを買って帰る。一部108円のセール中だけど、絶対定価のものが欲しくなる。
108円を2個と、128円を1個。

それから、24時まで営業の本屋で2冊。阿川弘之いとうせいこうを買って帰る。何度も迷って、でもいままで買えなかった本を、二次会の会費が浮いた分で購入。いかにも本好き、という風情のお兄ちゃんがレジを打ってくれる。たぶんわたしの大学の後輩だろう。
酔っ払い、と、このお兄ちゃんにはバレないように、でもバレてそう。

なに、この幸せ。

労働組合

今年は仕方なく労働組合の執行委員を勤めている。これも順番だから仕方ない。執行委員やりたくないから組合を抜ける、という人もいるけれど、何かあった時のために「維持しておく」というのがうちの組合活動だと思っているので、順番が来たら仕方ない。先輩たちが守ってくれてきたいざという時のための組織を後輩に残すためと思い、自分の時間を多少犠牲にする。
先輩たちが勝ち取ってくれた女性の待遇改善のおかげで、子供を産んでも続けられる職場になっている。しかし育児時短や育児特別シフトのために会社と交渉して、嫌な思いもしながら働くママ社員もいるそうだ。いろいろ知らないこともあったし、今後もっと女性が「会社に遠慮しないで」働けるように、組合として情報を共有して改善できることは改善したいと思った。
けれど、「子供のいる女性社員同士で話しているので大丈夫。組合で集まる時間はない」とのこと。
あぁ、子供がいないってこういうことなんだよな、と思い知らされる。こういう時に、「あなただけの問題じゃないんだよ。今後子供を持つ後輩たちのために、労働者と会社が交渉すべきことなんだよ」と言いたいけれど、それは当事者ではない人間の正論に過ぎないから。
あなたにはわからない。
親になったこともないくせに。
子供を持って初めて一人前。

そんな弱味を持ちたくなかった。どんなに努力しても、当事者じゃない人間は、最後には当事者にはかなわない。勝ち負けの話ではないのだけれど、少なくとも「母親」として当事者になりたかったのだ。

だんだん覚悟ができてきたと思っていた。親にならない覚悟が。ひとりで生きる覚悟が。想像力と勉強でカバーしようと思っていた。
まだ難しいみたい。こんなことに、気持ちが負けてしまうなんて。

6月の花嫁

TBSの「ビビット」で放送していた6月の花嫁。出社早々にデスクで見てしまった。

24歳のカップル。お嫁さんのお母さんが末期がんで、親孝行するのに結婚式しか思いつかなかった、んだそうだ。お金もまだない、若いカップルだから、極力手づくりしてお金のかからない式を挙げようと準備中だった。お父さんはいない。母ひとり娘ひとりだから、お母さんが亡くなってしまったら娘は一人ぼっちになってしまう。いい人が見つかってよかった。
まぁ、よくある話だと思った。大概こういうケースは早くに家庭を持つものだし、早く結婚すればそれだけ子どもも早く授かり、失った家族のかわりに新しい家庭を築いていくのだろう。24歳だしね。
と、思った。
そうしたら、彼女は子供の頃に骨肉腫を患い、上腕の一部を失ったという。しかも成長期に抗ガン剤を使用したため、子宮が殆ど働いておらず、不妊治療をしたとしても子供を授かる確率は非常に低いのだという。
24歳。

わたしはもう40歳だから諦める時期がやってきたけれど、24歳の彼女が子供が欲しいと思っても授からないとしたら年月の長さに気が遠くなりそうだ。
それでも、その全てを受け入れた伴侶が見つかった。彼だって、子供が授かったらどんなにいいだろう、と思うこともあるはずなのだ。けれどこれから20年間、友達が次々と子供を授かる中で2人で生きていかなきゃならない。
気が遠くなるほどの、覚悟。若い2人が、笑顔で。幸せそう。
いい人が見つかってよかった。できれば孫の顔が見たいな、と言っていたお母さん。結婚式への出席は絶対に無理だと医者に言われていたのに、車椅子でフラフラになりながらも出席して、終始笑顔だった。その17日後に旅立ったという。あれほどの無理をしなければもう少し生きていられたかもしれないけれど、娘がお母さんにしてあげたいこと、を精いっぱい受け入れて、娘が一生後悔しなくていいようにしてあげたんだと思う。まさに文字通り命を削って、娘の幸せを祈っていた。
そう、お母さんは自分の幸せではなく、娘の幸せだけを祈っていた。看病のために田舎に帰ってきた娘を、やりたい仕事がある東京へと送り返して。
結婚式でお母さんの振袖を来て、お母さんを喜ばせたかった娘。そこでもやっぱり幸せなのは、お母さんの眼の前でその振袖を着ることができたことであって、娘が幸せじゃなかったら、母親はどんな親孝行も求めてはいないんだろうと思った。

わたしが、子供を産めないから親不孝だ、なんて自分を責めて苦しむことこそが、親不孝ではないか。親は、孫を抱くことで自分が幸せになりたいんしゃない。自分の子供こそが、幸せであって欲しいと願うだけなのだ。孫が産まれたらもちろん嬉しい、けれど、孫の顔も見せてくれない、と子供を恨むことはありえない。どんな姿でもいいから、子供にただ幸せでいてほしい、そう思っているはずなのだ。

夫も、子供を産めない私を、母親になれない私を不完全だなんで思わない人だから。そのことで苦しむ私を見るのが一番辛いことだろう。私の子供と結婚したんじゃない。私と、結婚したのだ。もしかしたら子供を産めない体かもしれない24歳の彼女との結婚を決めた彼も、ただその彼女と一生幸せに暮らしたいと願っているだけなのだろう。
幸せに、楽しく、穏やかに。

彼女は愛されている。障害があっても、ふた親を亡くしても、目の前の幸せを大事に生きている。わたしは、目の前の幸せから目を背けて、手に入らなかったもの、過去の小さな傷、他人との比較、そんなものに囚われている。わたしもこんなに愛されているのに。

若い2人の笑顔が、わたしも目を覚ませと言ってくれている。あなたは、やっぱり幸せなんだよって。愛されているよ、って。

あした、さよなら

妊娠には至らず、薬の服用をやめた5日目の明日には生理がきます。
まだお腹のなかにはとぴちゃんがいるみたい。ときどきぐっと痛むから、その度にさよならを言える。

もう、わたしはお母さんにはなれない。お母さんになれば、全てが解決すると思っていた。ダメな自分でも、母親として苦労すれば人並みの大人になれると思っていた。唯一の親孝行の方法だと思っていた。仕事だって子供のためなら頑張れると思っていた。幸せになれると思っていた。
全てが、他力本願だった。
自分で努力しなきゃ、ダメなんだ。
そんな当たり前のことを、子供に期待していただけだった。だから神様は私のところには寄越してくれなかったのかな。

親孝行できなくてごめんなさい。

無力で、謝ることしかできなかった。
謝ることなんかないよ。神様の言う通りでいいんだよ。
母が言う。

いつか、自分を認めることができるんだろうか。良い子供にも、母親にもなれない私が。

幸せいっぱいに見えた有名人の家族が、病と闘っていることがわかった。
病気じゃないわたし。夫も元気、両親も健在。これ以上の幸せがあろうか。
でも、病気のあの人よりわたしがマシ、なんていうことではないのだ。
わたしは、わたし。そう思えるようにならなきゃ。

でも、今夜だけは赤ちゃんになれなかったこの子と一緒に眠る、悲しみを否定しなくても良いか。悲しいよ。ひとりでも会いたかった。お母さんになりたかった。お父さんになった夫の姿を見たかった。抱きしめたかった。3人で抱き合って眠りたかった。笑いたかった。おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔が見たかった。
ぜんぶ、できない。

健康なんだから、これから楽しいこといっぱいあるよ。子供を育てる苦労をしなくていいんだよ。
分かってはいるけど、いまは、そんな理屈じゃなく、子供を持てないかなしさ、くやしさを自分の中に認めないと、いつか、折れる。
いまだけ許してください。頑張れないけど、許してください。

最後の夜だね。産んであげられなくてごめんね。ママと、パパを、守ってね。あなたは間違いなく、私たちの子供として一瞬を記したのですよ。
いつか、9人家族になるね。賑やかになるね。

もう生理がきそう

卵子の質も男運も悪いくせに、生理とお通じだけはきっちり定期的なわたし。
予定日は明後日。やっぱり生理がきそう。まだ出血はないけど、あぁ、生理がくるな、という感じ。
今回はルトラールもちゃんと飲んで、エストラーナテープもしっかり貼って、なるべくたくさん笑って、正しく過ごしているつもりなんたけど。
今回は女の子だと思う。たとえ生まれ来られないとしても、前は男の子だった。ちゃんと命を受けていた。なんとなく、今回は女の子。

保育園が見つからず、「保活」の心配で2人目をためらう夫婦が多いという。1人目すら望んでも努力してもできないのに、とおもうけど、まずは結婚のステージすら苦労していたり、まして「健康」という、私が意識すらしていないステージも望んで得られないひともいるのだろう。

いまを、自分を、大切に生きる訓練。まだまだ先は長いみたい。

お迎えに行ってきた

成長の遅いとぴこちゃんは、溶かして3時間経ってもまだハッチングしておらず、あぁ、また着床は厳しいのね、と落胆させられた。
卒業したはずのスマホ検索をまたやってしまい、ぐるぐると人のサイトを巡った挙句、結論は「なるようにしかならん」ということ。
胚盤胞として生存していただけで、移植にこぎつけただけで、まずは最初のステップを乗り越えたラッキーな子なのだから。
結局待ち時間はぐースカ寝て、寝ぼけ目で手術室へ。担当医はこっそりお気に入りの先生だったのでちょっとうれしい。この先生とは治療のことを抜きにして一度酒を呑んでみたいくらい。む、婦人科医と酒を呑むのはいかがなまのか。
移植直前の卵、最後の姿がモニターに映し出された。あら、二枚重ねのパンケーキみたいな形に孵化してる。思いがけずこの世に這い出た姿がまた見られて、思わず涙が出そうになった。涙を堪えると、腹筋に力が入る。先生ごめん。
今回は「はい、ここにチューブが入りました。この辺りに移植しますよ。光ってるところですよ〜」なんていう説明もなく、モニターもこっちに向けて貰えず、あっさり施術おわり。3度目だから?
人によっちゃこのクールさに反発を覚えるのかもしれないけど私は嫌いじゃない。
人より呑気なとぴこはこうしてママのお腹に帰ってきましたとさ。15時45分。
もしもこのまま幸運が続いたとしたら、生まれてきてよかった、と思えるような人生を送ってもらおう。たくさん花の名前を教えよう。クラシックのコンサートにも連れて行こう。モルディブだって連れて行こう。長崎もいいね。韓国も行く?
野菜の美味しい食べ方とか、ご飯の炊き方とか、ありゃ、それはまずわたしが勉強しなきゃ。
いつも思うのだけれど、まだ細胞レベルのあなたがこんなに愛しいのだから、わたしの母はどれだけ私を愛していることか。
孫の顔を見せたい、と思っているけれど、お母さんが見たいのはやっぱり自分の子供たちの顔なんじゃなかろか。私たちの、元気で幸せな顔なんじゃなかろか。
母のために、父のために、私は幸せでいる義務がある。