tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

手術前の抗がん剤は終了

FEC4回、アブラキサン4回で術前の抗がん剤を終了。来月手術することになった。抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなったので乳房温存も可能と言われたけれど、昔から乳がんになったら全摘と決めていたのでそれほど迷うことなく全摘をお願いした。「子どもが大きくなったら寂しがるかなと思って」と再建を選んだ赤ちゃんママもいると病院で聞いたけれど、目先の面倒を思うとこれ以上入院期間を延ばしたくない。それに、そもそもほとんどない胸を失ったところでバランス崩すこともないだろう。思春期から結婚するまでずっとこの貧相な胸に泣いてきたけれど、ここで手放すショックを最小限にできるなんて、プラマイゼロなのね、とつくづく思う。

プラマイゼロ。
幸せで幸せで、怖くなったことがあった。夫は優しいし、お腹の子どもは出生前診断もクリアしてもうすぐ会える。ご飯は美味しいし、毎日たのしい。些細な幸せのようだけれど、本来なら授かるはずのなかった命まで授けていただき、2人で穏やかに暮らすはずだった日常に身に余る余禄が与えられた。正負の法則で言うと、代償を支払わなければならないのではないかと不安になった。
まさに、その代償がこの病気だったんだろう。

きょうも、小さな全身を私に預けてスヤスヤと眠っています。すべすべの肌も、ふわふわの髪も、母の特権で触り放題。ずっとずっと撫でていると、手のひらから幸せが染み渡る。そんな天使だけれど、命と引き換えにするわけにはいかない。この子の母親を失わせるわけにはいかないから。

深刻な副作用はなかったけれど、それでも抗がん剤の治療を続けたこの半年と、片方の胸を失う手術、術後のリハビリと育児、もしかしたら術後の抗がん剤。そのくらいの試練を代償として納めて貰えませんでしょうか、神さま。

抗がん剤治療

FECという略称で呼ばれる抗がん剤治療を3回受けた。最初、あれ、言うほどキツくないぞ?と思ったら2回目は油断が裏目に出て、3回目は風邪をひいてダメージを受け、めっきり治療が怖くなってしまった。薬が変わって今度はどんな症状が出るのかしら、今度こそ眉毛も抜けるのかしら、味覚障害で食べられなくなるのかしら、個人差があるのだから考えても仕方がないのだけれど、怖くなってしまって食事が喉を通らない。せっかく食べられる時期なのに。ストレスが人体に与える影響の大きさに改めて驚かされる。考えるな、と夫に諭されるけれど、それすらストレス。怖いね、でも助けるから頑張ろうね、って共感して欲しいだけなのに、男性にそれを期待しても無理ってことよね。
ムスメ、保育園で今ごろまた泣いてるかな。眠れたかな。きょうはミルク飲めるかな。
あれもこれも乗り越えて、強い家族になるのだ。

あれ、気持ちが落ちた

実家に帰って孫の顔見せがてら報告してきた。親子とも元気な姿を見せて、癌は今どき死ぬ病気じゃないからね、と賑やかに過ごしてきたけれど、帰ってきて家に2人になると、旅疲れか気持ちが落ちた。新幹線までは妹も一緒だったので楽しそうにはしゃいでいた娘が、帰ってからはグズり続け、まるでママが死ぬことを思い出したみたい、なんて考えてしまう。「亡くなったってよ」「若いから、進行が早かったんだよね」なんて、人が眉をひそめる様が思い浮かんだり、生きる覚悟が急にゆらゆらしてきた。前傾姿勢はどうした?!
これからもこうやって振れながら生きていくことになるんだろうな。抗がん剤で具合悪いときなんて、気持ちが落ちるんだろうな。頑張れ私の豆腐のメンタル!

きょうが、治療前の私が健康で過ごせる最後の一日。どのように使いたいか?考えてみたけど、家族で笑いながら過ごしたい、ただそれだけだった。でもとりあえず娘の病院行かなきゃ(´ω`)鼻水止まれ〜。

生きる

骨、内臓への転移はなかった。結果を知らされて、初めて夫の前で泣いた。よかった。治療ができる。
リンパへ大きく転移しているので、ステージ3と全く楽観できない状況だけれど、治療できるのとできないのでは大きく違う。生存率とか余命とか、もういい。わたしは治療して生きる。

娘が胃腸炎になっておしり爛れて、わたし病院の前に小児科へ。その後さすがに緊張のあまり食事をする気になれず、なんとかセブンのお粥を流し込んで出発した。

内臓転移なかった。思わず先生の手を握ってしまった。ありがとうって。若い女の先生でよかった。素直に、一緒に頑張れる。何でもできる気がする。

化学療法の説明を受けた。とにかく人によって副作用が違うらしい。雪の斜面を攻略するように、前傾でルートを進もうと思う。手始めに、脱毛に備えて髪を切った。生まれて初めてのベリーショート。臨戦態勢にはうってつけのスタイルで、とても元気が出た。楽だけど、このスタイルを長く維持するのはお手入れが大変そうなので、いいチャンスだった。伸びずに、近々なくなるんだもの。「どうせならパンクバンドのボーカルみたいに切ったら?」と勧めてくれた夫、グッドジョブ。
適度にくせ毛で、太さも柔らかさもちょうど良くて、手入れが楽でカット映えするいい髪を親からもらったと思っていた。子どもの頃から、髪を褒められていた。まつ毛も長くてマスカラとアイライナーはなくても暮らせる。眉毛もしっかりしてて、すっぴんでも最低限の顔は維持できる。親にもらった一番のお便利パーツを失うのは悔しいけれど、命と引き換えに神さまが持っていくならそれでいい。ちなみにおっぱいはあるかないか分からない程度だったので、さっさと持っていってもらって構わないんだけど。使い終わったし。

髪を切って、たくさん笑って、そうしたらなんだか絶対大丈夫な気がしてきた。家族と、友達と、もっと笑おう。一緒にごはんを食べよう。

骨シンチ&CT

悪い結果を想像すると苦しくてたまらなくなる。でも、前向きな未来を想定すると身体がすっと楽になる。メンタルが体に及ぼす影響って本当に大きい。新型うつ、などと言われて久しいけれど、やっぱりただのサボり病など存在しなくて、本人にとってはどうしようもなく辛いことだろう。

約1時間の骨シンチ。大きな機械に挟まれて身動き許されない間、心に浮かんだのは、
5歳くらいの子どものわたし。わたしの赤ちゃんを連れて、バイバイするんだって。アダルトチルドレンなんて自分にレッテル貼って、母親になってなお甘えていたわたしとは、もうさよならすることになった。おっぱい卒業して、パパと一緒に検査の終わるのを待ってくれている娘も、もう赤ちゃんではなく、子どもに成長する時期。

なにかのせいにしない。
自分も、人も責めない。
愛して、軽やかに。
信じて、自由に。

最後の授乳

造影剤から抗がん剤と、もう授乳ができなくなるので6日で断乳。ガチガチのおっぱいどうしたらいいの?!と悩んだ末に病院に相談したら、出産した病院の母乳外来に相談してくださいとのこと。なんだか母校にすら思える病院に久しぶりに電話したら、検査の内容や治療のことなど親身に聞いてスケジュールを立ててくれた。
ようは、ギリギリまで授乳して、それから3日後にマッサージでケアしましょうとのこと。3日間は張るけど搾乳はせずに圧抜きとクーリングで乗り切るよう。とはいえ夜間含め頻回だったので、急にやめて泣かれるのが怖いので徐々に回数を減らしてきた。病院に相談するまでは、不安だし張って痛いし、本当ならまだまだあげていたいし、悲しくてストレスで食事も喉を通らなくなった。でも、母校(笑)の看護師さんのアドバイスで気持ちが楽になって、その後は不思議とガチガチに張ることもなくなり、「もうすぐおっぱいとお別れよ」と話しながら一回一回の授乳を楽しめるようになった。

10時と、寝る前だけ、と決めて回数を減らしてみたら、夜に起きる回数がぐっと減って、とうとう昨夜は2時にミルクを120cc飲んだだけで朝まで寝てくれた!3時間おきに起きていたこの8ヶ月は何だったの、、、

明日、午前中に本当の最後の授乳。今日の夜は最後から2番目の授乳。なんと、おっぱいくわえながら眠る姿をもう一度だけ見たいな、という夢を叶えてくれて、珍しくミルクも飲まずに胸の上で眠ってくれた。やさしい子。
仰け反って泣いたり、咥えても咥えてもすぐに離して泣いたり、思うように出てこないおっぱいなのに頑張って付き合って、ミルクと混合ながら立派に大きくなってくれている。8ヶ月まで3時間おきに授乳ってどうなの??と悩んだりしたけど、3時間おきに会えて、吸ってもらえるのを少し嬉しく思ってもいた。予定より少し早い卒業だけど、たくさん抱っこして授乳してきたからもう大丈夫だね。これからは美味しいご飯を食べてもらえるように頑張るね。

苦しーい!トリプルネガテイブ

癌告知から1日。さっそく大学病院に来てみたけれど大変な待ち時間!朝8時半に受付して、呼ばれたのが午後4時前。
腫瘍もリンパの腫れも刻々と大きくなっているように感じられて、とにかく早く、1秒でも早くお医者さんに会いたかった。そもそも症状などなかったのに、食事も喉を通らない。一切の食欲がわかない。うえー、昨日は冷静だったはずなのに、現実と認識していないだけだったみたい。苦しい待ち時間!

ようやく会えたのは、若い女性のお医者さん。親身になってくれそう。わかりやすく説明してくれた。
昨日の病院ではちゃんと聞いてるつもりが認めなくない気持ちもあったのか、トリプルネガテイブの厄介なタイプと再認識。抗がん剤治療で、効くものが見つかることを祈るばかり。
来週の検査で転移の有無が調べられることに。来週までに転移しないの?!と不安になるけれど、淡々とスケジュールをこなすしかない。
転移がなければ半年間の抗がん剤治療を経て半年後に手術だそう。
つまり、あと半年は生きられるのか、と少しホッとした自分がいた。あかん、気弱すぎ!
転移があれば手術はせず、薬で癌を抑えながら共存していくことになるという。
先生は気の毒そうに、抗がん剤治療を始めると生理が止まるので第二子は無理、と言われたけれど、もともと凍結できた受精卵が1個なので第二子の予定はなし!なんて説明したりはしないものの「もともと考えてないので大丈夫です!治療頑張りたいです!!」と元気に返してみる。

娘が60歳、わたし100歳まで生きるつもりだったけど、まずはもう少し近い未来に希望を持って生きる必要が出てきた。

先のことを考えると苦しくなるので、今のことに心を尽くそう。まずは、来週の検査で薬を使うので、授乳をやめなければならない。さっそく今夜からはおっぱいなしで寝てもらうことに。
案の定寝ぐずって20分ほど格闘して、やむなくエルゴに頼ったところ30秒で寝てくれた。なんだよオイ。
そもそもネントレを検討しながらうじうじしていた私にはいい機会だったのかも。今夜は何回起きるかな。頑張るぞ!
授乳する幸せはもうすぐおしまいになるけれど、母乳外来に通ってまで頑張って、8ヶ月間楽しい時間だった。ようやく安定して出ることを実感できるようになったところだったけど仕方がない。これからは美味しい離乳食作りを頑張る!ミルクも高いのにしよう(笑)

神さまは、何度も何度も私の赤ちゃんを連れて行ってしまったけれど、とうとう最後に根負けしたのか、この子を授けてくれた。でも引き換えに私を連れて行こうというの?ねぇおチビさん、神さまに直訴してね。いい子にして、おっぱいも我慢するから、ママとずっと一緒にいさせてくださいって。ママも、お薬も手術も頑張るから、って。ねぇ、神さまのところに帰ってしまったお兄ちゃん、お姉ちゃん。ママ、まだそっちに行けないんだ。可愛い妹と、ママを見守っていてね。