tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

民間療法

気功治療、わたしもやりました(´ー`)
繰り返す流産を心配してくれて、心の支えになってくださった年上の女性の勧めでした。
積極的に縋った、というより、せっかくのお気持ちだから、、、というほどの思いでしたが、まぁ、高い授業料だったかなと。幸いその間に病状が悪化するなどの話ではないので深く後悔する必要もないのだけれど。

ちょっと不思議な先生ではあった。
「治療中」に、双子の孫の写真を見せてきて自慢したり、「トシ行ってから生まれた子供って、やっぱりどこか変なんだよね」と言い出したり、妊娠判定を受けて「陰性でした」と報告したら「良かったね」と返ってきたり(ガン検査と混同?)アレ?と思うことが多かった。まぁ、全部個人の資質によるところが多い違和感ですが。でもだんだん不安になってきて、「あれ、赤ちゃんまで異物として取り除いたりしませんでしたか?」と疑ったりもした。

別に、騙して金を取ろうと思っているわけではないと思うし、本人や周りの人はその力を信じて「治療」に力を尽くしているんだろうと思います。実際、ベッドの上で全身に「気を送る」ために長い時間手をかざしてもらうと、なんとも癒されるというか、のんびりできた気が。
しかし、のんびりしてる場合じゃないケースは注意が必要でしょう。

結局ブランドバック1個買えるくらいの授業料で先生とはお別れしたのですが、一回だけ、「花粉症で鼻づまり酷そうだね。どれどれ」と頭の上から「気を送って」もらった時は、不思議とさあっと粘膜の腫れが引いて、詰まっていた鼻水がさらさら流れ始めた時は、驚くというか笑ってしまった。

気功治療って、何なんだろう、、、

12週目の始まり

マタニティライフは人生で何度もあることではないので楽しまなきゃ損!と言います。
確かに、これまでの流産を振り返ると、お腹に赤ちゃんのいたほんの一ヶ月、三週間が、いっ時でもわたしが母親だった幸せな時間だった。
それは、振り返ってみれば、の話であって、実際は幸せいっぱいとはいかない。
不安だらけで。

初めて12週の壁を超えてきた。ナイスファイト!と思ったのも束の間、出生前診断の壁が立ち塞がる。
ただの勾玉じゃなく、二頭身になったエコー写真を見てしまうと、どうあってもこの手に抱きたい、と思い出生前診断なんか受けてもしょうがないよー、と腹を決めたものの、夫の反対にあい診断を受けることになりそう。
自分たちで最後まで面倒見られない子供を、置き去りにするわけにはいかない、という覚悟。

産むことも、産まないことも覚悟なのだ。
産まない判断をするくらいなら不妊治療などしなければいい、という立派な意見もごもっとも、健康な子供しかいらないなんてエゴでしかない、その通り。
ダメな人間代表として、でも生きていくことを覚悟するしかない。
ダメなお母さんでごめんね。
世の中の大人たちはみんな立派だよ。

私だってできる

魔法使いやお姫様になる夢は叶わないとしても、「私だってできる」と信じることなら可能、というコラムを読んだ。
思えば私には無理だろうと最初から諦めてきた人生だったかも。
私なんかがテストで良い点など取れるわけない、と思い込んだ10代から、彼氏なんかできるわけない、モテるはずない、と思い込んだ20代。結婚出産なんかできるわけないと思い込んだ30代。
実際はテストの点数は悪くなかったのに、先生や同級生に褒められるのが苦痛だった。私を好きだと言ってくれた男性とは距離を置きたくなったし、プロポーズのチャンスも与えなかった。
私だって幸せになれる。そう、信じてあげればよかった。
あなたにできるはずない、という親の言葉は、魔法使いやお姫様にはなれないのよ、という大人の一般論だったのかもしれない。
できない自分を演じてきた。

今週、初めての妊婦検診。
赤ちゃんはもう生きていないだろうな、と思い込もうとしている。
せっかくもらった母子手帳は一度も開いていないし、マタニティマークのキーホルダーはビニールに入ったまま。通勤もハイヒール。
私なんか、妊婦じゃないから。

あなただってできる。幸せな家庭を持てる。
信じてあげるための魔法の呪文を発見しなければ、私はずっとこのまま。

つわりがなくなった

どうも昨日の午後から体が楽になった。
毎日3時に力尽きていたのに、まだ仕事で体を動かすこともできるし、間食しないまま遅めの夕飯の支度もできた。
寝る前にもお腹が空かないし、夜中の頻尿もなければ今朝も空腹と吐き気を感じない。あれ、胸のハリもない、、、
これは、典型的な流産ではなかろうか。
検診まであと10日以上もあるのに( ; ; )今日は母子手帳を貰うために会社を休んだがなんとも虚しい気がしてきたよ。
やっぱり、私には無理なのかな、、、会いたいんだけどな。

具合わるい、、そして仕事がヒマ

朝ごはんを食べる前が気持ち悪くて起きられない。
昼ごはん前が辛い、午後3時を過ぎると苦しい、、、まだ一人前の妊婦ではないので「つわり」という言葉を使うのもおこがましいが、所謂食べづわりに近い症状なのだろう。
不妊クリニックでは妊婦として扱われないので、そもそもの生活指導など全くないのだが、最初から産婦人科に通院できたら少しは食生活や日時生活の手引きでもあるんだろうか。
そろそろ前3回の流産の週数なので、雑誌など買うわけにもいかず、漠然と、流産と健康状態に不安を抱えて暮らす。

気がまぎれるほど仕事が忙しいといいんだけどこれがまたヒマで。本当はやらなきゃいけないこともあるんだけど気力がわかない。
この精神状態が良くない、ということだけは分かる。

もしも現場復帰ができたら

はて、もう一度番組を作ることができたら何をしよう。
日テレのプロデューサー女史は、別の部署にいながら企画書を提出して自分の夢を叶えたそうな。私は最初から希望の部署に配属されてしまったので、そのハングリーさに欠けているのかもしれない。
いま、番組を作れるなら。作れないまでも企画書を書くなら。

美味しいもののイメージを伝える
普通の人の夢や希望を聴く
マニアックな街の秘密を探る
ラジオを通して、まるで世界中に友達がいるような

そして、震災とどう向き合うのか。

出血があっても気軽に近所の病院に行ってはいけない

私の意識が低かったと反省するしかないのだが、妊娠初期の出血に対する不安でつい気軽に会社の産業医に相談してしまった。
紹介状を持参したので問題ないと思っていたが、受診した病院から不妊治療院へクレームが入ったとのこと。患者が勝手に受診してくれては困る、といったところか。
不妊治療院は不妊治療はしてくれるけれど、妊婦のケアまではしてくれないんじゃないか、というのがここまで三度の流産で生まれた疑問だったのだ。出血には何の説明もないわけで。
結果それは言いがかりだったのだろうけれど、「受精しました」「着床しました」「流産しました」の事実のみで、「治療」をしてもらった覚えはなく絶望的になっていたのだ。だから、出血の相談は不妊治療院ではなく産婦人科にしたかったのだ。それだけだ。
その目的も達せられ、1人の患者として納得もしたところだったが、それがクレームに繋がり、ひいては「今後うちからの紹介を受けてもらえなくなる」とまで言われた。つまり私のせいで後の妊婦さんが出産の病院を選べなくなるらしい。
一歩引いて、私の迂闊さを棚に上げて考えてみるど、病院の関係とは恐ろしいものだと思う。お前のとこの患者が勝手に来て困るんだけど、という病院の言い分が正論で、患者には病院を選ぶ権利はないということだ。主治医にはそれだけの拘束力があり、患者は従うしかないのだ。しらなかった、、、
安心、納得は二の次、医療のシステム優先なのか、はたまた義理優先なのか。
赤ちゃんは無事だったけど、怒られて帰ってきたわけでした。スミマセンでした。
なんか色々勉強になる。この悲しい気持ちも将来何かの役に立つことだろう。
病院の治療方針に家族が納得できないまま亡くなった祖父母のように、悔しい思いをしなくて済むといいな。