tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

私だってできる

魔法使いやお姫様になる夢は叶わないとしても、「私だってできる」と信じることなら可能、というコラムを読んだ。
思えば私には無理だろうと最初から諦めてきた人生だったかも。
私なんかがテストで良い点など取れるわけない、と思い込んだ10代から、彼氏なんかできるわけない、モテるはずない、と思い込んだ20代。結婚出産なんかできるわけないと思い込んだ30代。
実際はテストの点数は悪くなかったのに、先生や同級生に褒められるのが苦痛だった。私を好きだと言ってくれた男性とは距離を置きたくなったし、プロポーズのチャンスも与えなかった。
私だって幸せになれる。そう、信じてあげればよかった。
あなたにできるはずない、という親の言葉は、魔法使いやお姫様にはなれないのよ、という大人の一般論だったのかもしれない。
できない自分を演じてきた。

今週、初めての妊婦検診。
赤ちゃんはもう生きていないだろうな、と思い込もうとしている。
せっかくもらった母子手帳は一度も開いていないし、マタニティマークのキーホルダーはビニールに入ったまま。通勤もハイヒール。
私なんか、妊婦じゃないから。

あなただってできる。幸せな家庭を持てる。
信じてあげるための魔法の呪文を発見しなければ、私はずっとこのまま。

つわりがなくなった

どうも昨日の午後から体が楽になった。
毎日3時に力尽きていたのに、まだ仕事で体を動かすこともできるし、間食しないまま遅めの夕飯の支度もできた。
寝る前にもお腹が空かないし、夜中の頻尿もなければ今朝も空腹と吐き気を感じない。あれ、胸のハリもない、、、
これは、典型的な流産ではなかろうか。
検診まであと10日以上もあるのに( ; ; )今日は母子手帳を貰うために会社を休んだがなんとも虚しい気がしてきたよ。
やっぱり、私には無理なのかな、、、会いたいんだけどな。

具合わるい、、そして仕事がヒマ

朝ごはんを食べる前が気持ち悪くて起きられない。
昼ごはん前が辛い、午後3時を過ぎると苦しい、、、まだ一人前の妊婦ではないので「つわり」という言葉を使うのもおこがましいが、所謂食べづわりに近い症状なのだろう。
不妊クリニックでは妊婦として扱われないので、そもそもの生活指導など全くないのだが、最初から産婦人科に通院できたら少しは食生活や日時生活の手引きでもあるんだろうか。
そろそろ前3回の流産の週数なので、雑誌など買うわけにもいかず、漠然と、流産と健康状態に不安を抱えて暮らす。

気がまぎれるほど仕事が忙しいといいんだけどこれがまたヒマで。本当はやらなきゃいけないこともあるんだけど気力がわかない。
この精神状態が良くない、ということだけは分かる。

もしも現場復帰ができたら

はて、もう一度番組を作ることができたら何をしよう。
日テレのプロデューサー女史は、別の部署にいながら企画書を提出して自分の夢を叶えたそうな。私は最初から希望の部署に配属されてしまったので、そのハングリーさに欠けているのかもしれない。
いま、番組を作れるなら。作れないまでも企画書を書くなら。

美味しいもののイメージを伝える
普通の人の夢や希望を聴く
マニアックな街の秘密を探る
ラジオを通して、まるで世界中に友達がいるような

そして、震災とどう向き合うのか。

出血があっても気軽に近所の病院に行ってはいけない

私の意識が低かったと反省するしかないのだが、妊娠初期の出血に対する不安でつい気軽に会社の産業医に相談してしまった。
紹介状を持参したので問題ないと思っていたが、受診した病院から不妊治療院へクレームが入ったとのこと。患者が勝手に受診してくれては困る、といったところか。
不妊治療院は不妊治療はしてくれるけれど、妊婦のケアまではしてくれないんじゃないか、というのがここまで三度の流産で生まれた疑問だったのだ。出血には何の説明もないわけで。
結果それは言いがかりだったのだろうけれど、「受精しました」「着床しました」「流産しました」の事実のみで、「治療」をしてもらった覚えはなく絶望的になっていたのだ。だから、出血の相談は不妊治療院ではなく産婦人科にしたかったのだ。それだけだ。
その目的も達せられ、1人の患者として納得もしたところだったが、それがクレームに繋がり、ひいては「今後うちからの紹介を受けてもらえなくなる」とまで言われた。つまり私のせいで後の妊婦さんが出産の病院を選べなくなるらしい。
一歩引いて、私の迂闊さを棚に上げて考えてみるど、病院の関係とは恐ろしいものだと思う。お前のとこの患者が勝手に来て困るんだけど、という病院の言い分が正論で、患者には病院を選ぶ権利はないということだ。主治医にはそれだけの拘束力があり、患者は従うしかないのだ。しらなかった、、、
安心、納得は二の次、医療のシステム優先なのか、はたまた義理優先なのか。
赤ちゃんは無事だったけど、怒られて帰ってきたわけでした。スミマセンでした。
なんか色々勉強になる。この悲しい気持ちも将来何かの役に立つことだろう。
病院の治療方針に家族が納得できないまま亡くなった祖父母のように、悔しい思いをしなくて済むといいな。

具合悪いぞこりゃ

先週、やっぱり7週目に入る直前で出血が始まる。黒い血がぼたぼたと出て、精神的に追い込まれる。土曜日を殆ど寝て暮らし、日曜日はあまり好きでもない祭に仕事で参加しなければならなかった。さすがに直会までは参加せずに帰らせてもらったけれど。
出血があるんです、と言ったところで、今通う不妊治療院では前回同様何の処置もしてくれないだろうと忖度して、会社の近くの総合病院に勤務医の紹介状を書いてもらった。
半日待たされて診察してもらったが、特に異常は見つからず、安静の必要もないとのこと。そもそも初期の流産は防ぎようがありません、だそうで、不妊治療院と同じご意見。三度の流産は、仕事で無理をしなければ防げたんじゃないか、という疑念を払っても払っても払い切れなかったが、別の病院でもその判断ならやっぱりそうなんだろう。分かってはいたけどようやく諦めがついた気分。
総合病院の若い女の先生がエコーを見て「赤ちゃん元気にしてますよ」というその物言いが気に入った。まるで保育所での様子でも伝えるような言い方で、なんだか赤ちゃんに実体を与えてくれた気がして。

つわりと言うほどではないが、息苦しさが続く。食べ物も、食べてみたら口に合わないものがあったりする。たとえば山菜。あんなに好きだったウドがキツい。

明後日、まだ元気にしてるだろうか。
私のお腹の中にいるはずなのに、まるで宇宙船のように遠くにいて、週に一度しか会えない。次に会えるかどうかすら分からない。これ精神的に苦しいわ、、、

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心拍が確認できた。これももう4度目のことだから、まだ不安しかなく喜べなくてごめんね。

なんでこんなに後ろ向きなんだろう私。ラジオで、「きょうは娘の小学生の草取りでした」と聞けば「うぇ、面倒」と思ったり、街ゆく障害のある方がたくさん目について、高齢夫婦で子供を持つことのリスクの高さに改めて不安を膨らませたり、
胎嚢が崩れていったあの超音波画像を何度も思い出したり、、、
前の病院の先生が言っていたではないか、まえの流産を忘れなさいと。妊娠継続の為にできることは何もないが、メンタルを保つことだけが重要だと。
子を持つ不安は誰にもあることだし、順風満帆な人生などありえない。けれど、治療を通じて得た命なら、不安に思ったり面倒だったりしちゃいけないんじゃないかと自分を責めるのだ。
これもそれも、ホルモンバランスの変化によるプチ鬱状態だと思うことにしよう。
わたしは、わるくないぞ、とな。わたしの人生、わるくないとな。

「過去の親の発言は忘れて、立派な大人になったこれからは自由に楽しく生きてください」と母よりLINE。「着物を着てみたい」と言った私に「着物はお金がかかるもの。貴女はのめり込む性格だから危ない」と警告しながら最近になって、「貴女の同世代の子たちが着付け習ってるんだって。楽しそうだよ」と言うから、過去に止めたじゃない、と反論したことへの訂正。

その通りだとは思うのです。囚われる私が弱い。「あんたなんかどうせ」と言われた言葉の延長に「あんたなんかどうせ親になんかなれない」という言葉が聞こえて。
大人なんだから、人のせいにしてはいけない。私に子供がいないのは、親のせいではない。

こんなぐらぐらした気持ちで赤ちゃん守れるだろうか。