tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

やっぱり平気じゃない。平常心ムリ

明日、ようやく最初の注射を受けて、判定はさらに1週間後。そんな微妙な時期を他人には言えないので、一杯だけビールを付き合った。
今朝起きてみると、昨日までシクシクしていた左下腹部も何の感じもないし、胸の張りもなくなったような。
そうやって体の感覚の違いに気持ちを浮き沈みさせる。これじゃ前と一緒。どんな初期症状もルトラールの副作用だと分かっているのに。

気持ちが不安定になる原因のひとつは、もしかして通常なら生理が近いからかな?薬の副作用とPMS、両方とうまく付き合うのだ。

治療に消極的に見える夫に、嫌なの?と聞いた時。消極的な理由は、「ダメだったときにあなたが泣くから」だそう。
私が泣くのは、叶わなかった願いへの辛さや、子どもが授からないことへの悔しさなどではなく、ほんの一瞬でもこの世に生を受けた私たちの子どもを喪った悲しみなのだよ、だから仕方ないんだ、と教えたい。

移植から判定までの過ごし方

この2週間をどうやって乗り切ろうかと、苦しい日々を過ごしたものですが、もうプロの域。というか、走ったり腹筋したり、自由に過ごしてしまうのは平常心のなせる技と言って良いでしょう。
胸の張り、妊娠の初期症状だと思っていたのですが、これまでの経過を見るとただの薬の副作用。だってまだ着床すらしてないはず。

なんて、平気、と思いながらこうして記録してしまうのは平気じゃない証なのかもしれないけれど、平気な私と、平気じゃない私と、うまく付き合うしかないのです。

きょうはたくさん桜を見ました。だいぶ散りかけていたけれど、岩出山475号沿いの桜並木、大和町八谷館公園は素晴らしかった。
八谷館は大和インターそばだから、朝起きたらコーヒーを水筒に詰めてサンドイッチ持って高速道路で朝ご飯食べに行くのも良いね、なんて夢を語った。
よい休日でした。大安吉日、晴れ。

最後の移植

これで本当に最後にしようと思っている。初めてAAの卵に出逢えて、いま、お腹に帰ってきてもらった。
ほとんどの人が自然妊娠で神さまの計らい通りに子どもを持つ中、私はこんな選択をしてしまった、と自分を責めたりもしてみたが、認めるしかないのだ。結局子どもを授かったとしても、授からなかったとしても、それは自分を責めるべきものではないのだ。

最近、人の子どもが可愛いと思うようになった。ばかりか、もしも早くに授かっていたら自分の子どもくらいの年齢の子がコンビニや宅配で働いていたりすると、愛おしくて仕方がない。歳をとると、人間に対する愛情が大きくなっていくのだろうか。

最も愛しいのは夫。本当はこれから子供など持ったら大変な年齢、不安も大きいだろう。本当は、私と自由に旅行したり、お酒を飲んだりしたいのだろう。「赤ちゃん、きて欲しくないんでしょ本当は」と意地悪な質問をすると、「赤ちゃん、俺より可愛い?」と拗ねてみせたりして、本当の答えをはぐらかす。はぐらかしたのではなく、どっちを選んでも私を傷つけると思って、和ませてくれてるだけなのだろう。
こんなに優しい父親を持ったら、どんなに幸せな子どもが育つのだろう、それこそが、私がどうしても子どもが欲しかった最大の理由。親孝行、人間的成長、様々の「自分のための理由」を超えて、あなたの子どもが欲しかった。思えば結婚の理由もそうだった。この人の子どもを、この世に誕生させてあげたい。いつからか、ずっとそう思っていた。
だったらもっと早く結婚すればよかったのに。うん、それはそうなんだ^_^;

震災から6年

3月11日6度目の一日。朝から地元のラジオを聴いている。
亡くなった息子への手紙。あなたの人生はこれからだった。やりたいこともたくさんあったはずなのに。

生かされた自分は何をしたかったのだっけ。結婚式の日取りも決まり、式場と契約する予定だった日の前日、世界が変わった。報道に携わる身として、一度、自分を捨てる必要があった。大勢の人が未来を失った日、自分の将来を考えることを一度やめてしまった。
そらから二年ほどが過ぎて、遅ればせながらもう一度自分の人生を始めようと思ったけれど、それから3度の流産。津波で失った命ではないのに、震災が私の赤ちゃんを奪ったと、考えてしまう。
人のせいにしてはいけない、環境のせいにしてはいけない、自分の体調と未来を管理できなかった私が悪い。
復興へ、復興へと歩みを進めようとするいま、被災した人たちが歯を食いしばって頑張っているのに、なにも奪われていない私が、前に進めずにいる。夫は今もこの日が近づくと、休日もなく残業を重ねている。せっかくのトップシーズンにスキーにも行けない。
3月11日、あんなに悲しいことがなければよかったのに。
家族を失った人に、申し訳がたたないほど弱い自分。これからどうして行けばいい?生きたかった多くの人たちに、恥じないためにどうしたらいい?

一個だけの卵が胚盤胞に

結局一個しか採卵できなかった日から1週間。授精したかどうか電話で確認することもできたのだけれど、怖すぎて無理だった。「今回は、ダメでした」先生から何度も発せられたあの穏やかな口調を思い出し思い出し、それでも泣かないように、絶望しないようにと訓練する日々。
心が不安定なのだろう、訳もなく夫に腹が立って無視したり、ひどい態度で雰囲気を台無しにしてきた。震災から6年、また一番忙しい時期を迎えているというのに、労ってあげることもできない。本当にごめん。
それでも逆ギレするでもなく、食事を作って、片付けて、穏やかに過ごしてくれる貴方には頭が下がります。きっと、お父さんとお母さんから受けた愛情のおかげで揺るぎない「安定性」を持ったひとなのだ。親にも何度も怒られた私の「不安定」を、矯正しようとするでもなく、受け入れるでもなく、ただあるものとして扱ってくれる。私に必要な人だと、心から思う。

で、その夫は、一個しか採れなかった卵を「凝縮されてる。きっと」と評した。その卵が、胚盤胞になっていた。グレードも今までで一番。ちゃんと授精して、もう、男の子か女の子かも決まってるのだ。

年齢を考えると、妊娠はまだ可能だけれど採卵の可能性は下がる一方なわけで、今のうちにもう一度採卵しておくという手もある。どうするか、ご夫婦で話し合ってください、とのこと。また妊娠できなかった時に、「次がある」と思えるようにしておくかどうか。または、「兄弟がいたら良かったのに」と悔やむ日のために。
答えが出ないことばかり。

ただ、この経験が無駄だったなんて思わないように、夫への感謝をこうして書いておこう。それから反省として、死刑判決を受ける練習をするのはやめよう。「駄目だったら」「断られたら」「嫌われたら」そんなことばかり考える自分を卒業したい。七赤金星。昨年のどん底から抜け出し、この節分から9年間は好調だそうですから。

激辛ラーメンたべたいのね

辛いものを食べたいのですよ。ソウルに行けば超辛旨!というメニューにこれでもかと出逢えるのに、はて仙台ではどこに行くべきか。
おっぺしゃんの激辛も、カラ助の激辛も、定期的に食べたくなるのだけれど、バリエーションを増やしたい。とはいえ、「激辛」の程度がわからない、、、いやそもそも仙台に、「これはムリ」っていう辛さは存在するのか。
あれこれ考えるより食べに行くか、ということで、北目のとうがらし亭に行ってみた。

悲報。「土日はこだわりラーメンのみ」

店名から、辛いのあると思ったのに、、辛味噌ラーメンに激辛があるって聞いたのに、、、T^T
これも出逢いかと思い直して、こだわりの中華そばを注文。むかし藤崎の近くにあったという「ちょうちんや」の味をベースにしたラーメンだそう。カツオのほか、魚出汁がしっっかりきいたスープで、満足感が高い。細め、ストレートめのプキプキした麺も美味しい。
とても美味しいので、隣の「かつせい」並みの行列ができるほどの評判になればいいね。
ひとりの時は店で堂々写真を撮れない性格のため、記録写真はなし。

それにしてもかつせい、相変わらずの行列。ラーメン屋の行列と違ってなかなか進まないぽい。普通に美味しいトンカツ屋さんなのですが、、、、みなさんできれば自分の近所の普通に美味しいトンカツ屋さんに行ってくれないかな。そしたら私も近所の普通に美味しいかつせいに行けるようになるのに。

採卵です

3度目の採卵。これで最後にしようと思ってはいるのですが。
何もかもが初めての時は好奇心が先に立ったのですが今回は痛みに耐えるので必死。いや、たいした痛みでもないのだけれど麻酔の注射って歯医者でも痛いよね、、、
育てようと思っていた7つほどの卵のみなさん。先週の検査では、右の卵胞は育っていないことが発覚。左の3個のみなさんに頑張ってもらうことになった。が、結局取れたのは1個だけ!さらには精子のみなさんも採取できたのだろうか。不安だらけ。
でも、駅前クリニックと違って、リクライニングシートに毛布、窓辺に乙女のドレッサーというこのスペースでゆっくりさせてもらって、頑張ったご褒美にお茶とお菓子をいただいて、というこのクリニックがやっぱり好きで、不安、諦めの気持ちを少し払ってくれる。
もしも終末医療を受けることがあったなら、こんな風に最期まで女の子扱いしてくれて、季節を先取りした花が活けてある病院がいいな。今このクリニックのトイレには白いアジサイ

一個しか取れなかったよ、と教えたら、夫は「凝縮されてるな!」とのこと。うん、その前向きに信じる言葉がなにより嬉しいよ。