tichiki’s blog

共働き夫婦のあれこれと思っていたら子育てと病気がやってきた日々の記録

また職場に赤ちゃんが

育休中の手続きに来たのだろう。同い年の同僚が赤ちゃんを連れて来社中。
しばらく前から職場に赤ちゃんの声が響いている。
育児ばかりで、久しぶりの職場の居心地が良いこともよくわかる。みんな、赤ちゃん可愛い可愛いて、遊んでくれる。優しい職場。

そんな中、赤ちゃんの声と幸せそうな母親の姿がいまだに辛くなって席を離れてしまう私は、弱い人間なのだろう。流産からはもう半年以上が過ぎたし、最後の移植失敗から考えてももう3か月が経った。
大きなお腹で社内を歩く同僚の姿には、まだ深呼吸で笑顔を向けられるようになってはいるのだけど。
「あなたは優秀だけどナイーブすぎる」その批判がまさに的を射ているんだろう。同じく子供を授かることができなかった上司の指摘。

強くなろう、強くなろうと努力したら、いつか強くなれるんだろうか。努力しないよりも早く、そこに辿り着くんだろうか。

よいか、女性には絶対に触るな。絶対である。

肩もみだけでセクハラかよ、よっぽど嫌われてんじゃねぇの。
と、思っていたが、これまで幸い殆ど機会がなかっただけで、実際体のどの部分でも、他人に触れられるのは気持ちの良いものではない。いや、気持ち悪い、と断言する。
特に確執のない、むしろ気の合うおじさんでも、酔って勢いづいて「ほら、あの時さぁ、」なんて腕をつついてくるようになると、半径50センチ以内が途端に居心地の悪いものになる。
まして、膝や腿に触れたら完全に「嫌い」とインプットされる。「悪気はない」とか「セクシャルな気持ちは全くない」としても関係ない。
これは女性の生理的なもので、男性には理解できないに違いない。
理解できないからこそ、絶対に触らない、と覚悟すべき。仲の良い関係だからこそ「触らないでください」と言うことができず、途端に「気持ち悪い」だけが発生して進化する。

逆に考えれば、女性からのボディタッチは非常にわかりやすい親愛の情かもしれないね。盛大にオバちゃんに背中を叩かれたとしても、それは「好き」ってことです。
一方、男性からのボディタッチによって距離を詰める方法はリスキー過ぎる。2人きりでカウンターに座ったときも、一定の距離を保った方が結果モテる。
細かいことだが女性の椅子の肘掛に手をかけるだけでもアウト。

あぁ、昨日のことは忘れよう。

子供がいない先輩夫婦

子供がいない先輩夫婦は、既にその選択をして納得済みなのだと、勝手に思っていた。干支で言うとふたまわりも上の、先輩。男性。
不妊の原因は男性にあったという。
奥さんはそれに対し恨み言を言うでもなくこれまで仲良く暮らしてきた。
本当はどう思っていたのか、泣きたかったのか、それも今はわからないんだそうで。聞けないんだそうで。
当時は、同僚に子供が生まれた時、職場に「命名〇〇」と張り紙が貼られたのが辛かったそうな。男性ですら。
職場に子供を連れてくる後輩に疑問を感じていたこともあったという。

もう、60歳を過ぎた男性の先輩が。

私が今、悲しくて辛いこと、それは私だけがバカで人間が出来ていない、というわけではないのだと、知ることができて救われた思い。
この世で、私だけがバカで妬み深く、人の幸せを喜ぶことができないダメ人間だと思っていたから。

私は、きっと、救われたいのだ。

ひとが羨ましいです!

人と比べない、を課題に暮らしておりますが苦しいよ〜。
2人目でお腹大きくなってきた同僚たち。
先輩の1人はこの年末に男の子が産まれるそうな。一姫二太郎。なんという幸せ。

他人がこんなに幸せに見えるなんて、どうかしてしまったのか自分、と思うほど辛いです。
辛い、ということを認めてしまわないと、壊れてしまう気がするよ。

人と比べない努力も必要、弱くて救いようのない自分を認めてしまうことも必要、かも。
どうしたらよいのかな。一生このままかな。
孫が生まれた友人を羨んで生きるのかな。
苦しいよ。

家族の病気

父に血尿。病院では膀胱炎を疑われたそうだけれど、腎臓ガンの再発ではないかと疑ってしまう。
そしてさらに心配になるのは母の心情。

お父さんが病気になったらどうしよう、お母さんが病気になったらどうしよう、と泣く阿呆な子供だった私に心配をかけまいと、父のガンの発症の際も平気な顔をしてみせたあの人が、心配で眠れないという。
当時も心配で眠れなかったのかもしれない。それを子供たちに悟られまいとしていたのかもしれない。
そういえばキャンプで私の首元をゲジゲジが掠めた時も「アリがいた」と嘘をついてくれた。新築の家に幽霊が見えた時も、父と2人で神社でお祓いして終わりにした。
知ったのはずうっと後になってから。
そんな母の配慮を尊敬していた。

父も、母も、年をとった。

ついネットで様々検索してしまう。すると、若いうちに配偶者の病気と闘う人の記事がいくらでも出てくる。私の身にそれが起きたら、、、結婚から5年経った今でも想像するだけで怖くて、でも起きてもいない不幸に怯えるなんて時間の無駄、と思ってみたり。
そもそも私は不安定だ。これも本当は母に似たのだと思う。

心配しない、フリをすることぐらいしか私にはできないけれど、心配しない娘を恨むだろうか。

安倍晋三が東北で嫌われるワケ

安倍晋三が東北で嫌われるワケを、薩長への嫌悪、と分析している評論家がいたけど、なんて的はずれな。ジョークとしてもどこで笑えばよいのか。
震災から5年も経ったなんて信じられないようなこの荒地を見たら、嘘で固めてまで鼻息荒く東京五輪を誘致して、国民を守るだなんて大上段に構えて戦争する国をリードする政権を、
嫌わない
理由がなかろうに。

貧しい農村から、占領地へ労働者を送り、貧しい漁村に原子力発電所を作った。
いまも、この国の根っこは変わっていないじゃないか。
私だって、いっそ津波の爪痕から目を背けてしまいたいと思う。
けれど、できない。
きっと四年後の東京五輪を心から楽しむなんて、できない。

義父のスピーチ

結婚式には出られないほど既に弱っていたので、両家を代表する挨拶は私の父が頑張った。
4年前に亡くなった義父、スピーチが上手かったと初めて知った。
大勢の前で話すとき、誰か1人に伝える話し方を心がけていたという。もちろんその人をガン見するわけではなく、広く会場を見渡しながら話すのだけれど、この人、とターゲットを決めて話すのだ。
すると誰もが、私に話してくれている、という気持ちになるのかもしれない。

これ、ラジオも同じ。パーソナリティは普く電波の届く聴衆全部に話しているのではなく、時として、わたしに、話しているような気持ちにさせるメディア。
であってほしいと思うのです。
でも、「みなさんこんにちは〜」から始まる挨拶の多いこと。みなさん、なんてどこにもいない。語尾を伸ばして伝わる言葉なんかない。
何を勘違いしているのか。

と、「リスナーとして」苦言を呈すほどでもないわけで。

義父のスピーチ聞いてみたかった。